ベルリンから本帰国最後のWS仕事を終えて
先週末、ベルリンではひとまず最後となるクリエイティブダンスWSを終えました。ベルリンでのWSは久しぶりでしたが、結論から言うと香川移住直前にこのドイツ生活&30代の10年間の集大成を感じさせてくれた時間となりました。とてもざっくばらんに私的なメモとして書くので、読みにくかったらすみません。
1.不安定な時代に文化が果たす役割について
私が今回最も胸を打たれた大きな確信がこれです。
コロナが落ち着いたのもつかの間、2022年にロシアによるウクライナ侵攻が始まるや否や、ヨーロッパは光熱費の高騰、インフレ、ベルリンは家賃の超高騰で、私たちが生きる世界の様子は様変わりしてしまいました。人々の生活がギリギリになってくると不満の矛先が移民に向くのは歴史の常であり、ここドイツも例外ではなく右派政党は大躍進。そしてダメ押しのイスラエルとガザの戦争。同時にもはや見て見ぬふりはできない気候変動による世界的異常気象。足元では2025年のドイツ文化予算が半減、人気ダンスカンパニーや国際劇場連盟の予算が全カットという想定を超える削減に舞台関係者は絶望の淵です。(まだ決定ではないので改善の余地あり!)
とにかく私は7才の娘に申し訳なく感じるくらい、今のご時世希望なしと常々感じているここ数年ですが、WSでの参加者の皆さんの踊りは希望そのものでした。皆さんもWSが終わるころには非常に清々しく満たされた様子。そのように感じられること自体が私は心から嬉しかったし、暗く大変な時代だからこそ、逆説的にこのような時間や体験の美しさと救いのレベルが格段に上がるのだと確信できました。
同時に、若い頃ダンスなんて世の中の役に立たないと罵られた私は、こんな素敵な時間や体験を、作品やWSを通して他者に提供できる仕事ができていることに少なくない感動がありました。
2.コンテンポラリーダンスや即興を教える方法論の確立
今回私が非常に手ごたえを感じたのがこれです。
私はそもそも教えに向かない人間なのでレギュラークラスを持ったことがなく、たまに単発や数か月単位のWSを行ってきただけの経験しかありません。昔30歳前後で突然インドや沖縄やドイツでWSをすることになったときは、一体どういう風に2時間を構築したらいいのか皆目見当つかない自分がいました。
また、若干話がずれるようですが、当時から根本的な疑問としてコンテンポラリーダンスでの「スタイル」の確立やそれによって生じる弊害について考えていました。振付家として成功するには自分オリジナルのスタイルを確立することが最重要事項というのがセオリーで、著名振付家は基本的には自分のスタイルやメソッドをWSでやるものです。しかしながらそもそも私の理解では、コンテンポラリーダンスは個々人が自由に自分の表現を探れる唯一のダンスなのに、なぜバレエなどのようにスタイルを教えないといけないのだろうと若いダンサー時代は一抹の疑問に感じていました。それは本末転倒で、コンテの根本思想に反するとさえ思っていました。それに熟年になると自分のスタイルから抜け出せないジレンマに陥るであろうことを考えれば、スタイル依存は諸刃の剣であると考えていました。
年齢も重ね、スタイルの重要性や価値もよくわかるようになりましたが、同時に今はSNSで他者のスタイルをいとも容易に学びコピーできる世の中で、20年前よりもスタイル確立の重要性は圧倒的に薄まったと感じています。それよりも、今・何を・どのように表出するか、したいか、それを他者がどう見て解釈するか、それこそが重要な世の中です。人も時代も、変化のスピードが非常に早くなっているがゆえの帰結です。(補足ですが、その現代の傾向を私がどう考えているかは別の話であり、客観的現象としてそう見えるということです。また、時間をかけて培った技術が重要でないと言いたいわけではないのでその点ご留意ください。)
話を戻して今回得た手ごたえというのは、「コンテンポラリーダンスや即興を踊るための素地となる身体の訓練法」とでもいえるような方法論を掴んだ感覚があったことです。それは、どんな状況、どんな音、どんな空間、どんなパートナー、どんな動きや振付スタイルでも対応を可能にするベースとなる身体の捉え方です。非常にシンプルですが初心者からプロまで通底するもので、これを10年越しにきちんと系統だって日本語でもドイツ語でも伝えられるようになったことが非常に嬉しく感じられました。
それを可能にした背景を考えれば、それは一重にドイツでドイツ語を使って学び、仕事をしたからだと思います。ドイツ語は非常に構造的かつ論理的な厳密な言語で、対して日本語はいい意味でも悪い意味でもふわふわした掴みどころのないアメーバのような言語だと感じるのですが、ドイツ語がそうであるがゆえに、ドイツ語で書かれた振付法の著作物はものすごいシステマティックですし、ドイツ人も言葉による論理的コミュニケーションを好む人たちが多いです。ですのでそういう人たちやカルチャーの中で生きているうちに自然とそれが可能になったのだと今は感じます。
もう一つ言えば、ドイツ語を上級以上目指すには、思考スキームを完全に変える必要があると私は経験上感じました。思考内容は変える必要はないのですが。(この点については機会があれば書きたいと思います。)
3.そして香川へ
まとまりなく書いてしまいましたが、帰国10日前にこのようなドイツでの10年間の手ごたえを感じられて幸せな機会でした。この経験を胸に、新たな拠点である香川県三豊市の皆様とも、豊かな時間や体験や感動を共有していけたらと考えています。
どうぞ何かご提案やお手伝いや普通にお茶しようなど、なんでもお気軽にご連絡ください!
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