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【手放しませんか】べき思考・ねば思考
これは、自分へのメッセージでもあります。
わたしはずっと、「べき思考・ねば思考」が大前提にある、完璧主義で、それにより行動ができない、自分と向き合えない人間でした。
その理由には、生まれ育った家庭環境もありますし、学校教育や社会のルールによる刷り込みもあります。
皆と一緒でなければいけない、ルールは守らなくてはいけない、目上の人のいうことは聞かなくてはいけない、など、、、
これ以外にも、「あるべき」「やらねば」という言葉で思い浮かぶ、たくさんのルールが世の中には溢れています。
それらの根拠はよく分からないものだったり、明らかに理不尽で納得がいかないものだったり、巧妙に真意が隠され、尤もらしく見えているものまで、色々な種類があるのだとも思います。
これらのルールに、男女で数や質の差があるかどうかなどは、この場ではテーマからもずれてしまうので言及しませんが、女性として生きている自分としては、対女性に対してのたくさんの理不尽なルールもある、ルールが独り歩きしているものも多いと感じています。
少し前の話題になりますが、KuToo問題や、MeToo問題。
これらに代表されるようなセクハラ問題だったり、エイハラ(エイジハラスメント)やマタハラなど、そして最近はラブハラやソロハラ、マリハラ、ジタハラやママハラなどという結婚や恋愛、出産や子育てに関する価値観の押し付けなどもあります。
対女性に多いと思われる、このような社会においての「あるべき論」もありますし、女性男性問わず本当にささいな「あるべき」「やらねば」とされる価値観も、本当にたくさん溢れかえっています。
わたしはいつも、自分の外側にあるこれらの「あるべき」「やらねば」思考を意識していましたし、エネルギーをたくさん注いで、浪費してきてしまったな、と思っています。
これは、固定観念や、「あるべき」「やらねば」の全てが悪い、と考えている訳ではありません。
自分にとって、その「固定観念」や「価値観」や、「あるべきこと」、「やるべきこと」をよく考えず、自分に落とし込んだり取捨選択をせずに、ただ「外側」だけを合わせようとしてきたことが、大きな間違いだったのだと考えています。
やるべきこと、やらなくてはいけないこと。
あるべき姿、あるべき姿勢、あるべき心持ち。
この「べき」や「ねば」を、どれだけ自分の味方にできるか。
自分ごととして考えられるか。
「自分」に照らし合わせたときに、捨てた方がいい「べき論」「ねば論」もあるのだと思います。
「自分以外の大切な誰か」も含めて考えたときには、身に着けた方がいい「べき論」「ねば論」も、あるのだと思います。
身の回りに溢れるひとつひとつを丁寧に掬って、自分に落とし込んでいきたいと考えています。
あなたも、「べき思考」や「ねば思考」で苦しくなっていませんか。
外側に立派で重たい鎧を持つことは、頑張る力になることもありますが、時にとても疲れます。
その重さがが、ココロにもカラダにも、ずしっと乗りかかって耐えきれなくなるときも、いっぱいいっぱいになる時もあると思います。
そんなあなたの疲れが少しでも和らぎ、受け止め直す力や、再度立ち向かっていく力を、エネルギーを補充できるように、カラダのメンテナンスで役に立てると嬉しいです。