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掌編『青二才』

 孤独に苛まれ、寂寞に打ち拉がれ、夜な夜な窓辺に映る巨人の影に怯え、それでも生きていかなければならぬと、心臓の覚悟を蓄え、誇大な自意識を孕み、薬剤に依存しながら、夢を嘯き、無垢を装った魂を懐に持ち、死んではならぬ、死んではならぬと、路傍に打ち捨てられた運動靴を眺めながら、己の脳髄に鞭を打ち、社会性に敗れた精神を踏み鳴らし、何れも声にならぬ絶叫を、慟哭を、憤激を、人生の末の末まで隠し持ったまま、欲望を秘匿し、悔し涙を堪え、妄執を抑えこんで、この生涯をいつまでも、地面に這いつくばらせたまま、手を伸ばし、一寸先ばかりを見据え、闇雲に藻掻き、足掻いて掴んだ未来の情景が、絶望だと知り、再び空虚に襲われ、それを何度も何度も繰り返し、決して死に至らぬ自傷を生きる糧に、蛇足に過ぎない道程を果てしなく吶喊して、生まれ変わっては鳥になりたいと、宙に視線を彷徨わせては、視界に映る、都会の煙に汚された、恒星の集いに、幼少期の憧憬を重ね合わせ、今や自分が唯一双眸が捉えるものは、決して届かぬ幸福への、報われぬ無意味な怨恨でしかないと気付き、所詮この躰が、本能と抑圧の奴隷であると悟ったならば、僅かに呼吸する理性の、換言するならば自己同一性を、限りなく奮い立たせ、寂れた団地の最上階から、いっそ墜落してしまえば善いと、安易に決意し、名ばかりの遺書を認め、生産性のない疲弊を覚え、惰眠を貪っては過去の自意識に背反し続け、全ての罪悪を忘却によって放棄し、日毎に与えられた生存権を目一杯に抱き締めるくせに、顔のない他人が掻き鳴らす騒音如きに脅かされ、身勝手な被虐妄想に取り憑かれ、耳を塞いで六畳間に引き籠もっては、電波の齎す経験に乏しい情報を囓り、一人前の矜持で以て、世情を皮肉り、訳知り顔で批判を加え、一連の行為が現実からの、乃至は自身の鏡像からの逃避であると自覚しながらも、自分が組み立てた、或いは何者かによって誘い込まれた生活から脱出できず、それが故に己を蝕む思考の病も治癒されず、只管七面倒な消極性ばかりを飼育し、空飛ぶ夢が叶わぬならば、せめて盲目の土竜になって、地中の幼虫を噛み潰していたいと、宗徒ほどの信条も持ち合わせぬ分際で、来世に思いを馳せ、自意識過剰で御都合主義の物語を、退行した脳味噌の表層になぞらせながら、それでも今生に充ち満ちる不安を払拭出来ず、現実性の恐怖に跳ね上がる脈拍を制止できず、喘ぎ、たじろぎ、結果論としての生き様に甘え続けたまま、衰えゆく未来を夢想しては、すれ違う老人の、湾曲した背骨に憐憫を堪えきれず、結局のところ人は死ぬのだと、血肉は灰と化して意識は無に帰すのだと、まるで青二才が辿り着くような、至極当然の答えに今更驚嘆し、何も表せず、何も叫べぬ我が身の、矮小な後ろ姿が脳裏に去来し、遅々として進まなかった将来へ至る道筋が、今や完膚なきまでに閉ざされてしまった事実に、悔恨の念が爆ぜ、安酒の酩酊に耽溺せざるを得ず、自虐する手管すら悉く尽き果て、この身に滞留する終の願望と言えば、畢竟稚拙な私の主張を、不可逆の流れから置き去られた得も言われぬ餓鬼じみた狭小な論理を、生と死の極論でしか判断出来ない幼稚な心持ちを、自作自演でしかない精神的感応を、過去の堆積でしかない自己を形成する一切合切を、誰かしらの手によって、握り潰され、完膚なきまでに否定されるという、ただそれだけなのだ。

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