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病気の私がわたしなのだ—「治療対象」としての葛藤
あるシナリオで好きな言葉があります。
「病気の私がわたしなんだもの」
「皆『病気を治してから暮らしましょう』……なんて、馬鹿みたい」
(ネタバレを含むため意訳)
ばかみたい、までは思わない。けれど病気は自分と簡単に切り離せるものではなく、ずっと病気だったのならなおさら自分の一部のように感じると思います。
かく言う自分も、妄想や鬱病の症状といった「異常な思考回路」はもう中学生くらいの頃から続いています。そして誰からも自分の思考が変だと言われなかったので自分の中に「ふつう」として定着してしまった。
たとえば、「周囲の人が自分のことを話したり考えている」のも、「見えない手が首を締めてくる」ことも、「空間が歪んで矢印になって攻撃してくる」のも、もはや日常の一部となってしまいました。
他の人と違うと気がついて、自分で思考を矯正しようとしていてもどうにもならず。10年以上かけて少しずつ定着した考えをずらすのは一人だと難しいのかもしれませんね。
それに「そうではない」状態、自分の中の「ふつう」じゃない状態がどんな感じなのかわかりません。もし異常がなくなったとして、それは本当に自分といえるのかと疑問に感じてしまいました。
今まで本格的な治療は受けずに自分なりに対処してきました。けして楽に過ごしてきたわけではなく、その間に何度か大きな波もあったりしたけれども、ここまでおよそ10年ほど生きてきました。短くない月日の中で「病」とされるものは自分の一部となりました。
それが精神科治療を受けることになり、今まで自分で抱えてきた自分の一部を他の人に取り上げられたかのような感覚を感じています。
抗うつ薬を飲んでいると、今まで一緒にいた妄想や幻聴なんかがぱったり止んでしまい。きっと喜ばしいことなんでしょうね。でもどこか、自分の今までの苦しみがちいさな薬1つで変わってしまったやるせなさがまとわりついている感覚があります。
人間難儀なもんですね。治療してほしいから病院に行ったのに、急に治ってしまうとどうしたらいいか分からない(完治した訳ではないですが)。
これまでは「病気のわたし」と付き合ってきましたが、これからは薬も仲間入りして新しいメンバーと頑張っていこうと思います。