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怒りの声を上げろ

怒らなきゃいけないことがこの世には多すぎて、怒れないでいる自分も、怒るべきことに気づけないでいる自分も直視するのが怖くて、つらくて、でも怒るにも体力や精神力を使うし、怒っている人を見るのにも心が疲れていくし、何が正しいのかなんてわからなくて、何も見ない振りをしている。何も知らない振りをしている。

怒りたくはない。怒りたくはないけれど、怒らなくてはいけない。そのことだけはわかる。そういうことが多すぎる。怒るべきことが。「怒らなくてもいいじゃん」ではない。そうじゃないことはわかる。どう言葉にしていいかわからないけれど、ただ「声を上げる」だけではダメで、きちんと「怒り」を示さねばならない。

怒りを示すのは怖い。抱えている感情を、主義主張を「怒り」にすることで自分が正しい側にたったのだと勘違いしてしまう気がする。後には戻れなくなってしまう気がする。でも間違いを恐れて口を噤むことは苦しんでいる人を、その状況を見て見ぬ振りすることだと思う。どうしたらいいかわからない。でも動かねば、声を上げねば、怒らねば。

怒ることで道を引き返せなくなることが怖くて、間違えることが怖くて、怒ることができない。ただ生きているだけでも断言することが怖くて逃げ道を作ってしまう。決めつけることも嫌だし、そもそも「私が○、あなたが‪✕‬」みたいに白黒ハッキリつくものばかりでもないだろうし。でもそういうことを言って自分を守っているだけだってこともわかっている。

0-100に決められないとして、10-90だとして、0-100じゃないから、10悪いところがあるから、責めるべきところがあるから、あなたが苦しんでいるそれは、あなたが怒っているそれは、なかったことになります!となるわけじゃない。だから声は上げなくちゃいけない。たとえ10悪いところがあったとしても。そして相手に10悪いところがあったとして、90自分が悪いのなら、自分が相手を苦しめていたのだとしたら、しっかりと誠意を持って謝るしかない。解決に持っていくしかない。謝ることで解決した気になってはいけないけれど。うーん、何の話をしていたっけ。

自分が怒ることにも、誰かが怒っているところを見ることにも、いつまでも慣れることはなくて、怒るたび、誰かが怒っている場面に遭遇するたび、どんどん心が疲れていって、自分が注射器の中のスポンジみたいにきゅうきゅう縮められていくような思いがする。

原因はだいたいSNSなのだから、少し距離を置けばると思うけれど、それは甘えかなと思うし、距離を置いたところで現状は何も変わらなくて、いや私一人が怒ったところで何も変わらないのだけれど、そうなのだけれど、だからしなくていい、怒らなくていい、抗議の声を上げなくていい、という話にはならず、怒るにせよ怒らないにせよ何も変わらないのならせめて私が誇れる私でありたいと思う。そして自分を誇るためにはやっぱり怒りの声を上げなければならないのだろうな、と思う。

実際今何かができているか、と問われると、何もできていない、と肩身の狭い思いをして答えるしかないのだけれど、怒るべきことがたくさんあるのは知っているし、本当は密かに怒っていることもたくさんある。それを表に出せないだけで。声を上げられないでいるだけで。

怒ること=悪だと思っていた過去の私にもウンザリする。現実はそんなに簡単じゃない、単純じゃない。でも怒らないに越したことはないよね、とも思う。うーん、わからない、難しい。怒りたくはないし怒っているのを見たくはない。感情を怒りにまとめたくはない。でもだからと言って怒っていることを責めるわけにはいかないし、怒らなくなったことでそのままにされる不条理を許したくはない。
そう、怒らなければいいという話ではないのだ。怒らなければそれでオッケー解決です、という話ではない。人はなぜ怒るのか、その理由があるのだ。理不尽に抵抗するために怒っているのだから、その理不尽を解消しなければならないのだ。私が願っているのはただ人が怒らない世界、今怒っている人が我慢して怒らなくなる世界ではなくて、怒っている人が訴えている内容が聞き届けられて、それが解決して、みんなが気持ちよく平等に平和に安全に暮らせる世界なのだ。

人の必死な訴えを「まあまあ、そんなに怒らなくてもいいじゃんw」で蹴飛ばしたくない。怒らないで済むならとっくに解決に至ってるんだよ、って話だ。

うーん、本当は怒りたくないんだよ。疲れるし。怒ってるのを見るのも心臓がキュッとなって嫌。でも必要な怒りはあると思う。現状を変えるために何ができるか、考えて行動に移さなきゃいけない。もちろんただ大声で怒鳴ればいいわけじゃないことはわかっている。怒りは目的じゃなくて手段だ。理不尽をなくすための。

今の私は自分が生きるのに精一杯だから一旦離れてもいいよ、という甘い声がする。でも見えなくしたってそこにあることには変わりないし、黙っていることでもっと悪くなっていくかもしれない。わざわざぶつかりに行きたいわけじゃないし、そうするべきとも言えない。でも見える範囲の理不尽には、聞こえる範囲の理不尽には、しっかり考えて声を上げていたい。「わからない」なんて言っていないで。

ちゃんと学んで、考えて、声を上げよう。怒りの声がいつかこの世から消えるように願って、ひとつひとつを変えていこう。私一人が動いたって何も変わらないのかもしれないけれど、そんなことを言っていたらいつまでもこの世界は良くならない。誰かが動かなければならない。それなら、私は自分が誇れる私でありたい。

どうしたらいい。やっぱりわからないのだ。だから学ぶしかない。その決意をここに記す。怒りの声を上げろ。

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