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カウンセリングを通して母娘問題を考えた日

先日、長年足を運ぼうと思っていたものの躊躇い続けていた場所に行った。カウンセリングルームだ。

思春期に一度摂食障害になり、主治医から「親子の関係がねぇ〜」と言われてカウンセリングを唆された。その時から「母親との関係が良くないんだな」と薄々思っていて、インターネットで夜な夜なそっち関係のページを検索しまくっていたっけ。でも、結局体重が元通りになり、カウンセリングをすることなく摂食障害の治療は終わった。

数年後にうつ病を患ったときも、主治医から「親子の関係がねぇ〜」と言われた。が、投薬とバンドとバイト漬けの大学生活に追われて知らぬ間にうつ病は治っていた。(その後も軽度の薬を飲んでいるが)

でも、普通の人と同じように生活できていても、なぜかうまくいかないことが多かった。HSPの症状からくるものもあっただろうけども、転職が多かったり、ダメンズに言い寄られることが多かったり…。「なんでだろな」と思っていた。(「バンギャも上がったのになぁ」とも、思っていた爆)

そんな中、コロナで自分を見つめる期間ができ、あれこれセッションを申し込んでみたり。初めて私と出会った方からいただいた言葉で、「私は思っていたよりも嫌なやつじゃない」と気づくようになった。時間があるときはワークに取り組んでみて、少しずつ自分自身へのイメージは変わっていった。3年前の生活への不満を100とすると、今は20くらい。少しずつ自分を愛せるようになってきた。

でも、根っこにあるシコリのようなトラウマだけはなかなか自分では解決できず…。自分に向き合うほどに疲弊し病んでいく…。深みに近づくにつれてそう思うようになり、思い切ってカウンセリングルームの門扉を叩いた。

結果、カウンセリングを定期的に受けることになり、ほっとした。ようやく自分の黒い部分を一人だけで抱え込まずに済む…かなり心が軽くなって、翌朝ベッドの横には食べかけのプリンがあった。化粧も落としていなかったようだ笑。どんだけ安心したんだ私。

詳らかにカウンセラーに生育歴を話すと「母親との関係に何かがありそうですね。これまでしんどかったでしょう」と言われた。思春期に主治医から頭ごなしに「親に愛されたことがない」と言われた時の絶望感とは違い、「あぁ、ようやく色んなことを打ち明けられた人がいた」という安堵があった。(だいたい「母親との関係が…」みたいなヘヴィな話って、どれだけ近い友人であろうとしたくないし、場の空気が重くなる)

母親と娘の関係に悩む娘たちとは、これまでたくさん出会ってきた。色々気兼ねなく話せた友達がいたこと、すごく助かったなと今となっては思う。でも私とその子だけではなく、多くの娘たち(とここでは呼ばせてもらう)が似たようなしんどさを抱えている、んだと思う。

「母親との関係が…」とは友達や恋人の前では言いづらい。かといって少し年上の人に話しても「許せ」「親にもそれなりの事情がある」といった根性論などなど世代のずれがある。

私が摂食障害を患った思春期から10年くらい経って、「毒親」といった言葉が流行した。最近では「親ガチャ」ともいう。なんというか、それらの言葉にビミョーな心を抱いてしまう私がいる。

「毒親」も「親ガチャ」も、どちらも子供からの見方だ。「私はこうされた!!!!!(怒)」という気持ちを単純かつ明快な言葉にすり替えてしまったケースも入っていると思う。安易に使う言葉ではないと思う。

そういった一方的な言葉を用いるのではなく、私はもっと母親との関係をフラットに捉えたいというか。(昔は「私はこうされた!!!!!(怒)」だった)「母親もあの時は仕方なかったんだな〜」という視点ではなく、母親との新たな関係性を模索したい。「こういう関係もあるんだな〜」という発見、というのか。(もちろん親子関係に悩むすべての娘たちに共通するものではないが)

親子関係は他人から見えない分、「変わっていますね〜」と他者から言われるまでは分かりづらいもの。まだまだ「娘」というポジションから抜けきれていないのだなと、カウンセリングを通して知った。カウンセリングを重ねつつ「女」である私、「彼女」である私、「妻」である私、「母親」である私、いろいろな私に出会えたらなと思う。

ここ数年色々やってきたけども、一番楽しみだ。

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