ロードバイクと自転車は別物だ
先月ロードバイクを買って乗り始めた。
と言ってもまだ、2回ほどしか乗っていないのだが。
(この記事を書き始めたときは、2回だった。)
ロードバイクにしようか、サイクルバイクにするか迷って結局ロードバイクにした。
先日めでたく、初転倒(落車)も経験した。
ここで、今感じていることを書いておこうと思う。
なぜなら、世の中に、それそこロードバイクの専門家等は綺羅星の如くおられ、それぞれ見識を持っておられると思う。
しかし、全くの初心者がロードバイクに乗ろうとした時どんなことを感じるか、何が問題になるか等は、専門家にとっては、もはや、過去のことであり、もしかしたら忘れておられるかもしれない。
私のような全くの初心者の感覚というのも、意義がありそうだ。
何よりも、選択ミスじゃなかったかと思わないでもない、現状でロードバイクとの格闘戦に勝利するためにも、日々発見と反省そして学びを明確にしておく必要があると思うのだ。
さて、ロードバイクだが、バイクといってもオートバイではない。自転車だ。
だったら、ロードバイクや、クロスバイク、マウンテンバイクと言わず、路面特化自転車、クロスカントリー用自転車、山岳自転車でもいいではないか。
最も、路面特化自転車なんていちいち言うのは、かなり面倒だし、ちょっとダサい。ロードバイクと言った方がオシャレかな。そう言う感じで私もロードバイクと言っていた。
しかし、これは違うと思うようになった。
その前に、ロードバイクとはどんなものかというと、こんなもの。
普通の自転車は、こんな感じ。
格好が違うだけで、同じじゃん。同じ自転車じゃない。
私はそう思っていた。
自転車には子供の頃から乗っている。
中学高校は、自転車で通学した。
ロードバイクと言っても、高速で乗れるようしてある自転車だろう。
なんてことない。
・・・と、思ってた。
甘かった。
違うのである。
ちょっと誇張して言えば、同じ人間と言っても、赤ん坊と大学生が別ものなのと同じくらい違う。
バイクを自転車だと言うのは、空手や合気道を見て、体の使い方をちょっと工夫しただけだ、と言うようなものだ。
感覚的に表現すると、自転車は乗り物として、つまり、自分が自転車を道具として使う感じ。対して、バイクは体の一部、ないしは自分がバイクの一部にならなければならない。
新しい体の使い方を覚え、それを無意識に使えるようにならなければならない。
そう言う意味では武道を習うのに似ている。
なおかつ、武道は危難に遭遇した時に備えるために修練する。従って、危難が現実化しなければ、その習熟度は問題ないとも言える。
しかし、バイクは、乗ったその時から、そして乗り続ける限りこのスキルが必要になる。待ったなしなのだ。
何を大袈裟なと思われるかもしれない。
しかし、これが、私の実感だ。
例えば、ハンドル操作一つとってみても、違う。
自転車の走る方向を変える時は、ハンドルを操作する。
しかし、バイクの方向を変える時は、バイクの車体を傾けて変えるのだ。
もちろん、ハンドル操作もするし、低速の時はハンドル操作で方向転換をする。しかし基本は車体を傾けて行うのだ。
普通の自転車は、写真のようにサドルに座る。
当たり前だと思うだろう。
しかし、ロードバイクは、サドルに腰けるのだ。
体重を、サドルとハンドルそしてペダルの3点に分散してかけるのだ。
どこが違うか。
サドルに座ったら、手は自由になる。
だから、ハンドルで、自転車の方向を自由に変えることができる。
座って手が自由な方が、細かい操作、素早い操作が格段にし易い。
ロードバイクは、常にハンドルに体重をかけているのだ。
やってみればわかるが、体重をかけたハンドルを自由に操作するのは、難しい。
体重移動をして、ハンドルにかけている力を抜かないとコケるのだ。
だから、低速でのバイクの方向転換は、難しい。
自転車の感覚で乗ると、その不安定さに驚く。
私は、単に長時間有酸素運動ができる手段が欲しかっただけだ。長時間の有酸素運動によって、血流をよくして、全身の細胞を活性化させようと思っただけだ。
新しい技術や、体の動かし方を身につけようなんて思ったわけではない。
正直、ちょっと後悔している。
いや、かなりか。
じゃあ、やめれば良いではないか。
ところが、そうもいかない。
なぜなら、気づいたから。
ロードバイクを乗りこなすのに必要な能力、バランス感覚、運動神経、判断力、予見力、これらを鍛えておく必要があるということを。
筋トレで筋肉を鍛え、ストレッチで柔軟性を養い、ウオーキングで心肺機能と体のバランスを整え、自転車での長時間の有酸素運動で免疫力を向上させても足らないものがある。
それが、バランス感覚、運動神経、判断力、予見力の鍛錬だ。
それが、ロードバイクで、できそうなのだ。
というか、ロードバイクでこれらを鍛錬しようと、今思っている。
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