不登校と同調圧力
こんばんは。大雨が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
本日は、不登校における悩みの一つ、同調圧力について私の頭の整理を兼ねて書いてみようと思います。
同調圧力は簡単に言ってしまえば、「俺も頑張ってんだから、お前も頑張れ」、「俺も我慢してんだから、お前も我慢しろ」といった雰囲気に屈してこれに従うことと考えます。
日本社会はとにかくこの風潮が強いです。不登校なんかしようものなら、同級生からは、「俺は学校毎日通ってんのになんであいつはいかねぇんだよ!!」って真っ先に言われてしまうでしょう。同級生だけではありません。近所の目も気になります。「なんであの家の子は学校行かないのか」なんて、不登校児を抱える家庭ではこんな同調圧力のストレスを常に受けているといえると思います。
(私はあまり気にしない口なのですが。。。)
しかし、もっと厄介なのが、不登校児とその保護者の間にもこの同調圧力が生じるのです。外から見れば同一の家庭内なので親も子も一緒くたに「あの家はちょっと変だ」という風に見えているかもしれませんが、家の中は家の中で、親が子に対し、「なんで俺は/私は仕事してるのに、子供は一日中娯楽で時間つぶしてんだ!!」という感情が見え隠れします。
外からは見えないかもしれませんが、家庭内でも同調圧力が働いてしまうのです。かく言う私もその一例で、昨年2020年には不登校長男に対し、「みんな仕事したり、幼稚園いったりしてんだから、ちっとは勉強したらどうだ」とかことあるごとに言ってました。やっぱり仕事している横で、YouTubeとゲームで日々時間を浪費している我が子を見ていると、つい焦りと苛立ちからキツく当たってしまうのです。。。
学校に行けなくなり、元気をなくしている子供にこんなことを言っても何もいいことはありません。恐らくはそんなことは言われずとも子ども自身がよくわかっているんじゃないかなと思います。
今では先ほどのセリフを言っても子供が動くわけも、変わるわけもないと頭では理解できて自制が利くようになってきた(それを”諦め”と言う)ので、そのセリフを吐き出すことはなくなったのですが、腹に戻してため込むとストレスになっているのかなと思っています。
やりようのない、怒りなのか、悲しみなのか、何なのか正体のわからない感情を日々心に蓄積しています。
これが結構厄介で、頭では理解している分、特に苦痛という認識はないんです。
これまで、同調圧力にさらされ続けて生きてきた自分自身の価値観からは抜けきれず、こみ上げてくる言葉を飲み込んで、言い知れぬ違和感をため込んでいるのだと最近気づきました。
同調圧力ってのは恐ろしいです。頭では”同調圧力”には全く合理性はないと理解しています。でも、みんな頑張ってるんだから俺も頑張らないとって意識はどうしても働いてしまいます。
(例えば、みんな出勤しているのに、俺だけ在宅してていいのかな??とか)
他人と自分の努力量を比較してしまう。同じだけ努力しないと仲間とはみなしてもらえないかも。。。こういった不安感があるのでしょう。「自信のなさ」が同調圧力に負けているんだと思います。でも自信なんてもんは一朝一夕には身につかないと思います。ではどうするのか?
この問いへの解は「気楽に生きる事」なんだろうなと私は思っています。
この類の悩み(子供に同調圧力をかけてしまう)を抱える人の特徴は恐らく、神経質で完璧主義でクソ真面目な人が多いのではないでしょうか。私はまさにこれです(自分でクソ真面目とかいってるのも怪しい。。。)
でもこれって、結構ハッとする指摘だと思います。私は別の媒体でこういったインプットを受けて「ウッ」ってなりました。。。
自分が気楽になれないと、どうしても子供に圧力をかけてしまいがちです。
周りの人に怒られない程度に、気楽に生きる。
これが一番大事。。。そう思います。
少し肩の力を抜いて、楽観的に生きましょう。その方がお子さんも笑顔で過ごせると思います。
ここまでご覧頂きありがとうございました。