勉強と学習
どうも、おはようござます!
昨日、投稿しようとしてうっかり寝てしまいました。。。
きょうは、「勉強と学習の違い」や「学びとはなんなのか」について書いてみようと思います。
今回はまた長〜くなりそうです。。。スミマセンがお付き合い頂ければ幸甚です。
昨日は、藤沢市で行われた「『登校拒否』を考える交流会」に参加してきました。
こちらは湘南近辺の学校の先生が主催されています。
不登校問題について、学校や社会がどのように対応すべきかを教員と保護者が議論することを目的に30年も継続して行われている取組のようです。
学校の先生の裏側が聞けるという別の面白さもあるのでオススメです。
ここで出会った先生がなかなかに面白くて、すごく素敵な方ばかりなんですね。その方から頂いた言葉、「勉強と学習」について私なりの解釈と工夫も交えて書かせて頂きます。
既に前置きが長くなってしまいました。。。
まず、最初に、私が仕事上で一番根底に置いている考えがあります。それは「意欲や意思が仕事の効率を大きく左右する」ということです。つまり、「意思を持って取り組む」か、「言われたからやるか」ではその結果に雲泥の差があります。これはもう明白ですね。
この観点で「勉強」という言葉を今一度捉え直してみたいと思います。「勉める」に「強いる」とかいて「勉強」。
「勉める」とは「努力して仕事をする」ということかと思います。それを「強いて」いるというのが「勉強」です。
つまり「努力することを強いる」のでそこには主体性や意思が全くありません。
「勉強しなさい」は本人の意思とは関係なく、与えられたことを学びなさいという意味を持ちます。
一方、「学習」ですが、「学び」、「習う」です。ここには本人以外の他者の意思がありません。「学習する」という言葉を本人が発すれば、それはなんらかの目的を持って、自らの意思で学ぶということを意味するのだと思います。
さて、この「勉強」した子と、「学習」した子。
どちらがより良い「学び」を獲得出来たと思いますか??
そう、意思のある行動が、その結果を大きく左右する。学習した子の方がより良い学びを得られるはずです。
「学校は勉強するところ」、これってすごく危険てことだと思います。勉強ではたいして学力がつきません。
忍耐力ぐらいはつくでしょう。でもその結果、「俺も我慢してんだから、お前も我慢しろよ」みたいな「同調圧力」を生み出す温床を生み出す気もします。
今後、我が家では「学習」に焦点を置いた教育を試みようと重います。
具体的に何をするかなのですが、長男がやりたいことから、学びにつながりそうなものをピックアップしたり、そこに学びを取り入れられないか、親子で協力して学習する内容を決めて行こうと思います。
いつかネタ切れになりそうな気もしますが、まずはやってみて、その結果や進捗を今後発信していければと思っています。
うまく機能しなければやめれば良いだけですので。そうなったらそうなったで結果を報告します!
不登校の家庭で一つの課題となる「勉強ついていけるの?問題」。私はもう「勉強」をやらせるつもりはありません。
そもそも「勉強についていく」必要はない。いつだって学ぼうと思えば学べる。
もし、同じ悩みを抱えている方がいて、この投稿をご覧頂けたなら、一緒にやってみませんか!
「こうやったら上手くいった」みたいな工夫をシェアできればさらにいいな〜なんて思っています。
やっぱり長くなりました。。。
本日もお付き合い頂きありがとうございました!
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湘南近辺で同年代の不登校の方との
つながりを作っていきたいと思っています。
「つながったから何ができる」ってところは
ノープランですが、もし同じような気持ちを
お持ちの方がいらっしゃいましたら
コメントいただけると本当に嬉しいです!
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