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祖母のお通夜と葬儀

祖母が亡くなった。

お通夜の前日、悲しさに暮れた。

悲しい。

もうすぐこの世から肉体がいなくなる。こんなにも悲しいことなのか。


家族葬との連絡が入る。

お通夜の日、親族が集まる。

お通夜が始まる。



自分より人のために動く人であったこと

いつも感謝の気持ちを持つ人であったこと

相手の喜ぶことをする人であったこと

祖父のことを誰よりも気にかけ愛していたこと


そんな言葉をお坊さんや喪主の伯父さんから聞く。


私の知っている祖母は、まさにそんな人だった。

私が内心密かに困っている時にいつも声をかけてくれる。「おいで」と電話をくれる。離れているのに、私が困っていることがなぜ分かるのか不思議だった。

逆に、私が楽しく過ごしている時は全く連絡がない。

祖母はきっと無意識だと思うけれど六感がとても鋭く、チャーミングでおしゃれな可愛い祖母だった。

ネイルをして、美容院にも通う。肌の手入れも忘れない。いつも可愛い笑顔。

どこまでも人を助けに行く。パワフル。


亡くなり、美しく着物を着て、綺麗にお化粧をしてもらっている祖母は嬉しそうだった。

私も嬉しく感じた。

最後まで、綺麗でありたいはずだから。


悩んでいる時、「よしえちゃんなら大丈夫よ!」といつも言ってくれた。静かにいつも見てくれている。

祖母の話が好きで、たくさん話した20代。

祖母の言葉はいつも私に響いた。

いつもそばにいるみたい。

きっと人のために行動してきた数、人と関わってきた数が違うのと、血が繋がってるから分かることもあるのかもしれない。


祖母とお別れする時、いつも手を握り合う。勇気とあたたかさと力強さが伝わる。

手の感触は今も覚えている。




お通夜の席に、本当にたくさんの親族が、それぞれの思いを持ってこの場にいる。

本当に良い人ばかりで、祖母が作ったご縁なのだと、時代背景としては戦争も超えて、祖母への敵わなさを感じた。


お通夜の後、親戚みんなでわいわいごはんを食べる。

祖母の周りを囲んで孫十人で写真を撮る。

ひ孫も七人。

悲しいけれど、こんな時でも楽しむのだ。

こうやって集まると、サマーウォーズみがある。

これまでたくさんみんなでごはんを食べてきた。

親戚とごはんを食べる時間はとても楽しい。

一緒に悲しむ人、一緒に喜ぶ人がいるって本当に救われるなと思う。

おばあちゃんありがとう。


祖母はきっと喜んでいる。



翌朝、親戚みんなで朝ごはんを食べる。

これまで、盆正月とぎゅうぎゅうになりながら川の字になって寝たり、みんなでたくさんごはんを食べてきた。

今日もその光景と変わりはなく、楽しくにぎやかに朝ごはんを食べた。


それから、最期のお別れ。

祖父が車椅子で祖母の近くに行く。

祖母が亡くなったことに初めて気づく。

祖父は祖母のことが大好きだ。

祖母から若い頃の話を聞いた時、あぁ、祖父は祖母のことが本当に好きで愛してるんだなぁと思った。

そして今も二人はいつも一緒だった。


祖父が祖母に手を合わせる。

祖母の顔に触れる。

祖父はどんな気持ちなんだろうか。



祖母のまわりにたくさんの花を飾る。祖母は胡蝶蘭が好きだった。



祖母が実体として無くなる。

火葬場のスイッチを喪主が押す。


なんと表現したらいいか分からない気持ちに包まれる。


待ち時間に、みんなでお菓子をたくさん食べた。

みんなでモリモリ食べた。



祖母は骨だけになった。

祖母の骨から目が離せない私がいた。

祖母の骨になった姿を見ることで、どこか自分の中の悲しみが癒えていった。


きちんと悲しみ、祖母にお別れをし、実体としては居なくなることで、居なくなったのだと、区切りがついた。


「もういないのだ」


骨を拾ったりじっと見つめる中で、はっきりと自分の中で区切りがついた。


お別れは辛かったけれど、この世の中は諸行無常で、祖母もその時を迎えたのだと、お役目を終えたのだと、合掌することができた。


祖母は本当にこの世でいのちを全うしたのだと思う。


安らかに。

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