![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/173878018/rectangle_large_type_2_d484f1a6afc01b5144a912b5dafc5f75.jpg?width=1200)
祖母のお通夜と葬儀
祖母が亡くなった。
お通夜の前日、悲しさに暮れた。
悲しい。
もうすぐこの世から肉体がいなくなる。こんなにも悲しいことなのか。
家族葬との連絡が入る。
お通夜の日、親族が集まる。
お通夜が始まる。
自分より人のために動く人であったこと
いつも感謝の気持ちを持つ人であったこと
相手の喜ぶことをする人であったこと
祖父のことを誰よりも気にかけ愛していたこと
そんな言葉をお坊さんや喪主の伯父さんから聞く。
私の知っている祖母は、まさにそんな人だった。
私が内心密かに困っている時にいつも声をかけてくれる。「おいで」と電話をくれる。離れているのに、私が困っていることがなぜ分かるのか不思議だった。
逆に、私が楽しく過ごしている時は全く連絡がない。
祖母はきっと無意識だと思うけれど六感がとても鋭く、チャーミングでおしゃれな可愛い祖母だった。
ネイルをして、美容院にも通う。肌の手入れも忘れない。いつも可愛い笑顔。
どこまでも人を助けに行く。パワフル。
亡くなり、美しく着物を着て、綺麗にお化粧をしてもらっている祖母は嬉しそうだった。
私も嬉しく感じた。
最後まで、綺麗でありたいはずだから。
悩んでいる時、「よしえちゃんなら大丈夫よ!」といつも言ってくれた。静かにいつも見てくれている。
祖母の話が好きで、たくさん話した20代。
祖母の言葉はいつも私に響いた。
いつもそばにいるみたい。
きっと人のために行動してきた数、人と関わってきた数が違うのと、血が繋がってるから分かることもあるのかもしれない。
祖母とお別れする時、いつも手を握り合う。勇気とあたたかさと力強さが伝わる。
手の感触は今も覚えている。
お通夜の席に、本当にたくさんの親族が、それぞれの思いを持ってこの場にいる。
本当に良い人ばかりで、祖母が作ったご縁なのだと、時代背景としては戦争も超えて、祖母への敵わなさを感じた。
お通夜の後、親戚みんなでわいわいごはんを食べる。
祖母の周りを囲んで孫十人で写真を撮る。
ひ孫も七人。
悲しいけれど、こんな時でも楽しむのだ。
こうやって集まると、サマーウォーズみがある。
これまでたくさんみんなでごはんを食べてきた。
親戚とごはんを食べる時間はとても楽しい。
一緒に悲しむ人、一緒に喜ぶ人がいるって本当に救われるなと思う。
おばあちゃんありがとう。
祖母はきっと喜んでいる。
翌朝、親戚みんなで朝ごはんを食べる。
これまで、盆正月とぎゅうぎゅうになりながら川の字になって寝たり、みんなでたくさんごはんを食べてきた。
今日もその光景と変わりはなく、楽しくにぎやかに朝ごはんを食べた。
それから、最期のお別れ。
祖父が車椅子で祖母の近くに行く。
祖母が亡くなったことに初めて気づく。
祖父は祖母のことが大好きだ。
祖母から若い頃の話を聞いた時、あぁ、祖父は祖母のことが本当に好きで愛してるんだなぁと思った。
そして今も二人はいつも一緒だった。
祖父が祖母に手を合わせる。
祖母の顔に触れる。
祖父はどんな気持ちなんだろうか。
祖母のまわりにたくさんの花を飾る。祖母は胡蝶蘭が好きだった。
祖母が実体として無くなる。
火葬場のスイッチを喪主が押す。
なんと表現したらいいか分からない気持ちに包まれる。
待ち時間に、みんなでお菓子をたくさん食べた。
みんなでモリモリ食べた。
祖母は骨だけになった。
祖母の骨から目が離せない私がいた。
祖母の骨になった姿を見ることで、どこか自分の中の悲しみが癒えていった。
きちんと悲しみ、祖母にお別れをし、実体としては居なくなることで、居なくなったのだと、区切りがついた。
「もういないのだ」
骨を拾ったりじっと見つめる中で、はっきりと自分の中で区切りがついた。
お別れは辛かったけれど、この世の中は諸行無常で、祖母もその時を迎えたのだと、お役目を終えたのだと、合掌することができた。
祖母は本当にこの世でいのちを全うしたのだと思う。
安らかに。