黒部ダムと母
『黒部ダム=母』
そんな旅の、話。
7月中旬。
黒部ダムへの大旅行をした。
私の住まいは九州。
遠かった。
電車乗りすぎてお尻が痛かった。
飛行機で行けよ、だと思った。
「また、黒部ダム行きたかね〜」
母は口ぐせみたいに言ってた。
若い頃友人と行って相当楽しかった模様。
私も巨大建築物が昔から好きだし黒部ダムが完成するまでには相当な労力がかかっていて命をかけて作られたものであるというのはプロジェクトXを見て知っていたので行きたいと思っていた。
そんなお互いの気持ちの高ぶりが今回タイミングよく一致。「そうだ、黒部行こう」と、なった。黒部ダムは素晴らしかった。ダムまでの道中も美しい景色のオンパレードで、正直移動で疲労困憊だったけどそれでもテンションがあがる美しさだった。
ただ私は今回、この旅で1番衝撃だった母の涙についてお話ししたいと思う。
高原バスというのがある。
タテヤマスギという巨木や称名滝を案内しながら室堂という所まで連れて行ってくれるバス。
それに乗った時のこと。
となりに座る母が何気なく目に映った。
結構ガチで、泣いていたのだ。
え、なんで?つらい?きつかった?
結構標高高いししんどかったか?
「え、泣いてるやん」
なぜか関西弁のイントネーションだった。
自身の動揺が窺える。
「また来れるなんて思わんかったから」
母がそういった時、なんだかはっとした。
母には母の人生があったのだ、ということをすごく感じた。私の知らない若い頃の母。学生時代の友人と旅行にいったり仕事のことで悩んだり恋なんかもしたりして、今の私と何ら変わらない若い時代を過ごしたのだ。
でも今まで私の中で母は最初から母だった。
20代、30代の母がいたことはわかっていてもわかっていないような。たぶん母の人生について深く思いを巡らせたことがなかった。改めて言葉にすると娘のくせになんだかひどい気もする。そんな母も年をとって足腰も弱くなって一体何時間電車に乗ったらいいんだってくらい遠い黒部まで来るのは結構不安だったんじゃないかな。少しだけ勇気のいる旅行だったんじゃないかな。
母は確実に年をとっているんだなぁとしみじみ感じたのだ。
おろおろする私を横目に
母は長い間しっとりと泣いていた。
その後は母も黒部ダムを満喫していた。
私はというと、それはもうどデカい黒部ダムを見て「でっか」という当たり前の感想しか言えない自分にがっかりはしたもののプロジェクトXで見たあの黒部ダムに自分がいることに感激の嵐だった。
やっぱり来て良かったな、と思った。
尻を痛めながら来た甲斐があったというものだ。私は母に対して残念な思いをさせたことが
たくさんある。親不孝者だと思う。そんな私でも少しは親孝行できたかなと、生意気にも今回の旅を通して思えた。
誰かと過ごす時間ってすごく大事でもはや2度とない瞬間を一緒に過ごしてるんだから大事件である。家族とあとどれくらい過ごせるのかなって考えたら漠然ではあるけどリアルに終わりが見えちゃったりする。はるか先に思えた数十年ももうすぐそこまで来てる。
ちゃんと孝行できる人間になりたいものだ。
家族だけじゃなく、友達や職場の同僚、お店によく来てくれる常連さん、お世話になった上司などなど。私と関わってくれたみんなと楽しく幸せに生活していきたい。いや、別に楽しくなくてもいい。なんかこう、大切に生活したい。
黒部ダムから宿泊先のホテルにもどり
美味しいご飯を食べて温泉にも入った。
親孝行もできたし、いや〜本当に大満足の旅だったなぁ〜つって、母を見た。
母はまた泣いていた。
たとえそれが喜びの涙であっても
娘はやっぱりおろおろします。
母さん、また旅をしようね。
ここまで読んでいただき
ありがとうございます。
拙い文章ですが
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それでは。
やさい