配られたカード
タイトルは、私の好きなスヌーピーの名言「You play with the cards you're dealt」(人生は配られたカードで勝負するしかないさ)から。
人生は生まれた時から不平等、健康で裕福で全て持っている可能性もあれば、貧困や戦争など常に死と隣り合わせの可能性もあります。
それでも自分の持っているもので乗り切るしかないよねと言う、実にスヌーピーらしいセリフでして、この考え方はとても好きです。
私の人生に配られたカードは弱かったのか?
決してそんなことはなく、むしろ恵まれていた方だと思っています。
ですがその手札を間違えて使ってきた自覚もあり、しっかりと考えながら向き合っていれば、また違った人生もあったのではという悔しい思いも。
それは私自身の選択の責任であり、普段はそんなことで後悔してもしかたないと思っているのですが、鬱の症状でネガティブが強いと「あの時にこうしていれば……」と考えても仕方のないことが浮かんできていました。
産まれて1週間で死にかけた、産後鬱の影響で少し虐待を受けていたなどのマイナス面はありましたが、父親はM重工業勤務で安定した収入があり、母親は家に籠るよりはとパートに出ていたので、経済的には特に苦労なく育ちました。
自身で言うのも変ですが私の小・中学校の成績は良く、特に試験勉強などしなくても上位1割には入っていたため、勉強に対する苦労も未経験でした。
将来の目標や希望の職業などはなく、父親の教えだった「大人になったら独立する」という漠然とした姿だけを思い描いていたので、中学3年生の受験の時も希望校はなく。
友達が受験するからという理由で神戸高専の受験を決め、高専に落ちても市内の公立なら合格するだろうと思って受験勉強はしませんでした。
我ながら舐めくさった奴だなと思います。
神戸高専に合格して進学しますが、高専は1年生の時から実習や専門教科が始まります。
どちらかというと機械は好きな方ではありましたが、将来の職業や趣味レベルでの好きではなかったので、そこまで興味を持てませんでした。
中学校までなら授業さえ受けていれば問題なかった勉強も高度化し、ここで初めて勉強で躓きます。
これまで努力をしてこなかったため勉強に対するアプローチが分からず、優良可の可(55点)~良の間で低空飛行しながらも、かろうじて留年はせずに進級していきました。
将来やりたいことも見えず、真剣に努力したり考えることができないまま、ただなんとなく。
将来像もないまま就職活動をして、2社目で就職先が決まります。
就職後にようやく仕事に対する責任感が芽生え、必死に勉強をして時間をかけることで学生時代の遅れを取り戻そうとしましたが、どこまでできたかは分かりません。
上司や機械を組み立てる現場からは可愛がられて期待されており、自由なアイデアをより求められるようになっていきましたが、学生時代に勉強してこなかった後悔から自分の設計に対して自信を持てないままでした。
仕事自体は面白かったものの、その思いや過酷な頭脳労働などが引き金となり、20代後半の不眠症から鬱発症へと繋がりました。
34歳の社会復帰後は、自分なりに人生を考えて適応しようとやってきたつもりでしたし、色々な面で成長したと思っていました。
小さな欲などはありましたが必要以上の高望みはせず、私の手の届く範囲での満足を味わえればそれで良い。
恋愛や裏切りなどで落ち込むことはあっても「今持っているカードはこれなのだ」と、折り合いをつけてきたつもりです。
通院と服薬も続けながらでしたが、機を見て薬を減らしていければいいなと医者とも話をしていました。
管理職になってからは色々ズレを感じてしんどい思いもありましたが、設計職時代よりはまだ大丈夫、乗り越えていけるんじゃないかなと。
なので再度メンタルを崩して休職になった事実は、なかなかのショックでした。
結局スヌーピーにはなれなかったなぁ。
今後どうしたいかなど今はまだ考えられませんが、いつまでも休み続けることは経済的にも難しいので、どこかのタイミングで考え始めなければなと思っています。
その時、手元には何のカードが残っているのかな。