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水族館のチンアナゴをGIFアニメで動かしてみた
2020年GW自粛期間に水族館企画の「チンアナゴ顔見せ祭り!」がニュースで流れました。その瞬間、にょろにょろにハートを鷲づかみされ、初めてのGIFアニメーション制作にチャレンジ。
コレです!
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/27033326/picture_pc_33743fc8db8dd63757790c5f7016ef6c.gif)
この「チンアナゴ顔見せ祭り!」は、東京墨田区にある「すみだ水族館」のGW企画。東京スカイツリータウン・ソラマチ5Fと6Fにあります。「人間のことを思い出して!」という飼育スタッフの願いから緊急開催されたもの。自粛生活をする私たちと、すみだ水族館の暗闇にいるチンアナゴ300匹とを、ビデオ通話5台でつなぐ初の試みだったようです。残念ながら、5/3~5/5の開催期間はすでに終了しています。
四国水族館のしゅこくん(@shikokuaquarium)からバトンを受け取りました🎶
— すみだ水族館【公式】 (@Sumida_Aquarium) May 6, 2020
休館中もチンアナゴたちは食欲旺盛🍴
ゴハンのプランクトンをしっかり食べています✨
次は 「琵琶湖博物館」さんと「横浜・八景島シーパラダイス」さんにバトンを託します❗️#いきものパクパクリレー#休園中の動物園水族館 pic.twitter.com/EkFQBEhvzj
そこでチンアナゴでGIFアニメーションを制作しました
この「祭り!」企画についてのニュースを見ながら感じたのは、小さな心配。このあと開館したらしたで、人間にもチンアナゴのことを思い出して!もらわないといけなくなるのではないか。ここは、お互いがお互いを忘れちゃダメなとこではないか。そんな気持ちが、いつのまにかGIFアニメをつくる原動力に。
ちなみに、チンアナゴという名前は、犬種の「チン(狆chin)の目」に目が似ていることからとか。ゆえに、そこをもじって、ひとつの「キス」で「スキ」が倍増連鎖する「chu♥アナゴ」にしてみました。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/27035698/picture_pc_134635db234a98dcbbf6b0c5608dac35.gif)
「chu♥アナゴ」
一斉にゆらゆら泳ぐ。にょろにょろして柔らかそうなのに、気に入った砂場をみつけると、おヒレで力強く砂を掘りあけてシュシュと収まるチンアナゴ。
そこからイメージしたのは、チンアナゴと飼育スタッフとのソフトな心のふれあい。それを画面の外からも守りたい気持ちの芽生え。それらが接触すると、憶病なチンアナゴゆえに響きあい、スキがはじけて広がり、余韻となって残っていくのではないか。そんな、人の環に囲まれ水槽のなかで生きるチンアナゴを、短くまとめています。
しかし、実はチンアナゴは、いつもは大人しいけど怒ったら突つく「攻撃が最大の防御」タイプ。喧嘩すると口を開けてかみつき、にょろにょろに激しく、なかなか治らないタイプのようです。
GIFアニメーションは、何もわからないところからだったので、制作したいイメージと力量がマッチせず四苦八苦しました。あと、作り出したら終わりがどこなのかわからない、止めてはいけない何かを後から後から足していく作業。そして、とりあえず形になったら、こんどはチンアナゴに届けないと!
海ではなく水族館にいる魚という存在
それにしても、水族館にいるチンアナゴの生態というのは面白いです。聞きかじりをまとめると、
彼らは、ちょっと人間のことを忘れるだけで生命が脅かされてしまう存在。元気な姿が砂から出て見えないといけない存在。自然の海で暮らしていたのだから、たまには観覧客なしで静養するのもいいのでは?と考えるのは軽率で、飼育員スタッフによる大事な健康チェックは欠かせない。人によって管理されない彼らは、いずれ命にかかわる緊急事態に陥ってしまうという。
つまり、よくある二項対立「自然」と「人里」との違いを連想させます。そして、この現象が、能登半島の棚田ではなく山林でもなく、東京スカイツリーの水族館でおきているわけです。
もっと言い換えると、水族館のチンアナゴは、
もともと海底という自然環境で生きのびていくために身につけた「警戒すると砂に潜る」習性。それが、水族館という人工的な環境で発動されてしまうと、彼らにとって必要な飼育員スタッフという自然環境にはなかった人間の手を離れることにことになってしまい、それが生命を脅かすという矛盾を孕む存在。
ということです。
たとえばよく見かける、飼えなくなった金魚を側溝に放して「自然にかえした」という発想。このとき気になってしまうのは後半部分の表現です。つまり、もうすでに「自然」に適応しては生きていけないかもしれないものを、種が生息していた自然環境とも異なる、単なる「家の外の世界へ放した」ことを、「かえした」と表現されていることが気になります。その違和感が、こういったエピソードにふれると癒されます。常態ではわからなかったことでも、非常事態になるとあらわになってわかりやすくなることの一つかと思いました。
私たちも金魚かもしれませんから、たくさんのお子さんがチンアナゴの緊急事態を広く理解し、身近な生き物へおとしこんで生活できるといいな、と思います。生きた教材になりますね。
それとは別に、私はチンアナゴに会いに、すいている時間を調べて水族館へ行きたいと思います。