
おしゃれ野菜を育てるの巻~26歳で脱サラした女の変化~
おしゃれ野菜の種を蒔き始めてはや3週間。
また、東京でのサラリーマン生活を脱し、都会と田舎との二拠点生活を始めて3か月。
いろいろな変化が起き始めている。
今回は、野菜の成長とともに、訳あって26歳で脱サラした私自身の生活、そして心と体の変化をつづっていく。
お種が私の生活を変えた
ここは山梨県北杜市の高原地帯のため、
今の時期芽が出るには少々時間がかかったものの、
前回の記事の通り、はやいものだと蒔いて1週間強で発芽しだした。
(写真の「紫」の字が間違っているのに、でかでかと掲載しているのが申し訳ない)
会社を辞めてからは、東京の家で毎日11時くらいにようやく起床し、Youtubeを見てゴロゴロする無気力なありさまであったが、
今では、このお種たちの様子が気になり、朝7時台にベッドから飛び起きるようになった。
土いじり用の服に着替えると身が引き締まる。
その後は、苗に丁寧に水をあげ、成長を観察し、くすぶっていた種が発芽していると、喜びの舞を踊ったり。
そんなことをしていると、日なたで容易に1時間が経ち、全身に汗をかいている。
その後は、ここら辺で採れたビーツのスムージーを作ってごくごく飲む。
すると、体全身に力がみなぎるような感覚になる。
そんな日課を送るようになった。
脱サラしたわけ
少々長くなるので、興味のある方はぜひ。
サラリーマン時代の話になるが、
昨年末まで、私は東京の某ITベンチャー企業にてOL生活を送っていた。
あのD通事件以来、労働基準法での労働時間の取り締まりが厳しくなっているという噂を耳にするものの、
私の勤める企業では、やる気があれば会社にいるのが当たり前でしょ?という時代遅れの空気が走っていた。
そんな空気に加え、単純に一人が抱えるタスク量が尋常ではなかったので、
毎日23時は当たり前で、終電に走ることも珍しくなかった。
そんな生活を続け、昨年9月下旬に身体を壊した。
ただ、仕事で成長できるんだという自己成長欲求だけは強く持っていたので、休まず勤務を続けた。
ある11月下旬の夜、仕事中に急に涙があふれ出した。
メンタルクリニックに行くと、「適応障害」と診断を受けた。
この後会社を休職することとなった。
そして休職期間中にふと思ったのだ。
わたし・・・何がしたかったんだっけ?
日々の業務に追われ、成長、成長という言葉だけで自分を見失いかけていたあの時、本当に自分がやりたいことを見つめ直した。
4年弱、広報やIR関係の仕事をしていたが、物書きの仕事が一番やりがいを感じていて、フリーライターという仕事に前々から興味があった。
ここで私の今後の行動を後押ししたのは、私の尊敬する女性ココ・シャネルの一言だ。
My life didn't please me, so I created my life.
直訳すると、私の人生は楽しくなかったわ。だから自分の人生を創ったの。
つまり、今楽しくなければ、自分で楽しくすればいいじゃない!という単純明快なフレーズだ。
私は会社を退職し、フリーライターになることを決めた。
ライターと農家の兼業?
フリーライターであれば、場所を問わないということで、
山梨の森の中で木こりをしている兄の家に居座ることにし、東京との二拠点生活が始まった。
そしていまお気づきであろう。
この通り、私も植物や木々の虜になってしまったのだ。
最初は1プレートで5品種だけであったが、ネットでこんな野菜もあるのかと心を奪われ、気づいたら今では31品種のおしゃれ野菜を育てている。
こじんまり家庭菜園が、数的には立派な農家レベルに達している。
今後自分がどのような道を進むのか、自分でも楽しみでならない。
ただ思うのだ。
自分の人生を変えられるのは、結局自分しかいない。
あなたは、今の生活に満足しているだろうか。
うーんと即答できない人は、ぜひ私と一緒に一歩踏み出してみるのはどうだろうか。