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砂漠に薔薇を求めよう。 浜離宮-清澄白河-東京スカイツリーを巡る

書を捨てよ、街へ出よう

渋谷は混沌かつ猥雑な街である。
企業ビルがひょこひょこと立ち並ぶオフィス街であり、渋谷109やパルコを要するファッションの街でもある。そうかと思えば、陽が沈む頃には、ギラギラした若者が集まり、居酒屋やクラブで夜通しその有り余る体力の限界に挑戦しているし、道玄坂を脇道に一本逸れたならば、何やら怪しい輝きを放つホテルが絡み歩く男女の受け皿になっている。

一言では言い表せられない街の多様性、それこそが渋谷が渋谷たるゆえんであり、清潔でいい香りのする渋谷など渋谷ではない。
そして、断じて人が住むに適していない。

この街に住む者は、およそ渋谷という街に盲目的な憧れを抱きすぎたが故に、冷静な判断能力を失った阿呆である。そう、僕である。
しかし、ここに住むと契りを交わしてしまったし、そもそも引越しにかかる費用を捻出できるほど貯金もない。
仕方がなくそれらを受け入れ、平日はゴミや反吐で悪臭が漂う道を辿り会社に行き、酔いどれが闊歩する喧騒たる道を辿り自らの城に帰る日々を繰り返す。土日はもっぱら篭城し、夢想にふけるか大して実益のない人文書を読み漁っている。たまに同じく東京に住む友人に誘われ、中野や新宿あるいは渋谷で酒を飲み交わすこともあったが、自ら友人を誘うということはないに等しく、あくまで誘われたらゆく、という姿勢を貫いていた。

僕は渋谷、ひいては東京という都市に対して抱いていた憧れや期待を全て失ってしまっていた。東京は「砂漠」だとか「冷凍都市」だと揶揄されることもあるが、まさにその通りで中身のない、人の温かさもない、灰色の街であると自ら街へ出ることを拒んでいた。

そんなある昼下がりの土曜のことである。
いつものように渋谷の城に篭り、自らの才を大きく開花させる金言はないかと哲学書を読み漁っていると、ある一つの概念に出会った。

それは「環世界」である。

環世界とは簡単に言ってしまえば、生物はその生物が知覚できる世界の中にいて、どんな生物もその生物なりの空間、時間を生きているという概念である。
提唱者のユクスキュルはマダニを使った例を出している。

マダニというダニの一種には、視覚・聴覚が存在しないが嗅覚、触覚、温度感覚がすぐれている。この生き物は森の小枝の上で血を吸えるような哺乳動物が通りかかるのを待ち構える。相手の接近は、哺乳動物が発する酪酸(らくさん)の匂いによって感知される。その匂いを感知した瞬間にマダニは枝から飛び降りる。そして鋭敏な温度感覚によって動物の体温(摂氏37度)を感じ取とると着地の成功を知って、手探りで毛の少ない皮膚を探し、生き血というごちそうにありつくのである。

つまり、マダニは ⑴酪酸の匂い ⑵摂氏37度の温度 ⑶体毛の少ない皮膚組織 の3つのシグナルに沿って行動しており、そのシグナル以外の情報を受け取らない(受け取れない)のである。よってマダニは、上記3つの知覚のみで形成されている環世界にいると言えるのである。
(その証拠にユクスキュルは18年間枝の上で酪酸の匂いを待ち続けたマダニを紹介している。マダニにとって酪酸の匂いを嗅ぎ取って初めて世界を知覚するのであって、18年間という時間は存在しないと言える)

そして、おそらくお分かりかと思うが、人間は視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の五感と呼ばれる知覚で形成される環世界で生活している(また、例えば視覚では現象を時間的に隔たった2個の印象として捉えられるのが0.043秒と言われ、それ以下の時間は知覚できないため存在しないとも言える)

また、ユクスキュルはこの環世界という概念を拡大し、人間の環世界についても論じている。天文学者は夜空を天体の運動として見つめ、鉱物学者はなんの変哲もない石ころに価値を見出す。素人が星がきれいだとか、価値のない石ころだと思っている傍らで、天文学者は天文学者の、鉱物学者は鉱物学者の環世界を生き、素人が見えない世界を見ているのである。

つまり、人はみずからが持つ興味関心の環世界の中にいて、まるで興味のない、関心のない事柄は見えない(見ることができない)のである。

なるほど、僕にとって東京が乾き切った砂漠に見えてしまうのは、東京のことをうまく知覚できていないからであり、知覚できないということは、東京が放出する刺激を受け取れていない証拠である。まずは東京を知らねばならない。我が環世界を拡張し、東京を歩くだけで愉快な街にするのだ。砂漠にも薔薇は咲く。咲かせてみせる。

思い立ったが吉日。僕は早速書を捨てて、街へ出た。

浜離宮恩賜庭園をめぐる

JR渋谷駅、山手線内回りに飛び乗ったのは午前11時頃であった。
約60分で一周する山手線に46年ぶりの新駅「高輪ゲートウェイ駅」が誕生したのは記憶に新しい。もし宴会の場で山手線ゲームをしようものなら、真っ先に「高輪ゲートウェイ駅ィィ!」としゃしゃり出たいものだが、あいにくその機会には恵まれていない。
その高輪ゲートウェイ駅を通り過ぎ、田町駅も通り過ぎると、浜松町駅に到着する。そこで降り、東へ向かったところにあるのが「浜離宮恩賜庭園」である。

浜離宮恩賜庭園は江戸時代、徳川将軍家の別邸であり、都会のオアシスとも評される自然豊かな庭園である。その魅力はなんといっても「潮入の池」と呼ばれる海水池である。海水を引き入れ、潮の干満によって趣を変える様式であるため、ビルに囲まれた庭園の中にいるというのに、潮の香りが心地よく鼻腔をくすぐってくる。

海のない山間の町で生まれ育った僕は、木々の間を爽やかに吹き抜ける潮風に一切の理性を奪われそうになる。気を抜くとここが由緒正しき庭園であることを忘れ、池に飛び込んでしまいそうになるため、気張りながら歩を東へ進める。
すると、眼前に現れるのは東京湾である。と、言っても埋め立てに埋め立てを重ねた東京であるため、湾というよりは川であり、向こう側には豪奢なタワーマンションが何棟もそびえ立っている。

先ほども述べたが、僕は山間の町で生を受け、四季折々の自然を文字通り全身で感じながら育ったため(田んぼに張る水を見て春を感じ取り、近所の樹木に集まる昆虫を捕まえて夏の到来を歓迎し、頭を垂れる稲穂やシャンシャンと鳴く鈴虫に秋の足音を聴き、降り積もる雪の眩しい世界に冬を見ていた)、無機質で冷たいビルやマンションが敷き詰められた風景に、どうも悲哀の念を抱いてしまっていた。
しかし、それは僕自身の心が貧しかったからであり、僕にはまだ見ることができない美がそこにあるはずだ、と今では思う。
そう思ったので、東京湾を望む形で置かれていたベンチに腰をかけ、じっと東京のランドスケープを眺めた。

...どうやら僕にはまだ早すぎるみたいである。

気を取り直して、東京湾に沿ってゆく形で、庭園を一周する。
すると、鄙びた小さな鳥居があり、薄暗い影と鋭い日差しの対比が夏の神社の雰囲気を醸し出していた。

案内札には旧稲生神社と記載されていたが、目を引くような説明はされていなかった。私邸の中に神社を建てるという発想が日本人らしく、僕が大学時代を過ごした京都でもよく見られた光景であったので、懐かしさを覚えると同時に心が落ち着いた。

さらに出口(大手門)の方へ進んでいくと、「三百年松」がある。
文字通り約300年前に六代将軍 家宣によって植えられたらしい。

堂々たる佇まいは、我300年前からこの世にありけり!と物語っており、その偉業をこれっぽちも隠そうとしない。本音を包み隠す奥ゆかさにこそ日本人としての美学を見てきた僕の目に三百年松が眩しく映る。
「もっと自己主張しなよ」
目も口も鼻もない松の環世界に僕は存在しないけれど、僕の世界には間違いなく三百年松が存在し、力強く僕の背中を押してくれている気がした。

その力強い後押しを受け、僕は出口へと向かった。

下町情緒が溢れる清澄白河へ

時刻は13時をまわり、少し小腹が空いた僕は前々から行きたかった「喫茶You」に向かった。喫茶Youは、創業1970年のレトロな雰囲気がむらむらと漂うと巷で話題の喫茶店である。
僕のようなお洒落に毛が生えたような人間の巣窟であり(行ったことないのであくまで憶測)、一人客でも暖かく迎えてくれるだろう。
浜離宮恩賜庭園から北東におよそ10分ほど歩いたあたりに昭和映画に出てきそうな外観が見えた。

まさかの大行列である。
流石にこの列に並び待つとなると相当な時間を浪費してしまう!時間は資本だ!と、言い訳をし(本当は一人で並ぶのが気恥ずかしいのである)、スタスタと店の前を通り過ぎた。

はて、困った。
僕は、この東京散歩をする前に一つの誓いを立てていた。それは飲食チェーン店には入らない、である。
我が環世界を広大な宇宙のように広げるべく街へ出たというのに、見慣れたチェーン店に入ってしまっては、広がる世界も広がらない。
とりあえず、歩みを止めては行けないと思い、あてもなく歩いてみることにした。
ふらふらと歩くこと数十分、何やら明るく愉しげであった東京の街並みも公営住宅が連なる住宅街に様相を変えていた。このままではお昼ごはんを見つける前に力尽きてしまう。

社会人2年目の老いた体に鞭を打ち、なんとか住宅街を抜け出し隅田川に出た。

写真中央の佃大橋を渡れば、そこには月島がある。
月島・勝どき・佃・晴海。上空から見ると4つの区画に分かれている(ように見える)埋め立て地で、湾岸マンションエリアと呼ばれている。
そう聞くと、歴史のない近未来的な埋め立て地域だと思われるが、実はそうではない。
東京湾の埋め立て事業というのは徳川家康が始めたもので、月島は明治時代(1892年)に、もともと浮き島だった佃島を拡張する形で造らたのが始まりである。つまり、100年以上も前から東京湾に存在し続けているわけである。100年という月日を歴史あると考えるか、歴史が浅いと考えるかは個人の主観によりけりなのでこれ以上口出しはしないが、三百年松をほんの1時間前にみてきた僕に言わせてみれば、まるで歴史を感じない薄っぺらい街である。

僕はそのグラビアアイドルの写真集のように薄っぺらい街に、お昼ご飯を求めずんずん向かってゆく。

途中、佃大橋からは東京スカイツリーが見えた。
新たな東京のランドマーク、東京スカイツリー。僕はこの瞬間、今日の最終目的地は東京スカイツリーだと心に決めた。あそこには自分の環世界を広げる何かがきっと転がっているはずである。

さてさて、そんなことよりお昼ご飯である。
月島といえば、もんじゃで、もんじゃといえば月島である。もんじゃストリートなる道すら存在する月島には、おじいちゃん店主が切り盛りする温かなお店もあると信じていた。

しかし、そんなものはなかった。
右も左も、前も後ろも、もんじゃしかない。まさに四面楚歌ならぬ、四面もんじゃである。流石に夏の昼間にもんじゃという気分ではない。
僕は空腹に打ち克ち、我が舌が味わいたいものを探すという選択をした。この決断はのちに「令和の英断」と呼ばれることになるが、このときの彼はそんなことを知る由もない。

僕は東京湾に浮かぶ埋め立て島を北東に向かう形で後にした。
再び大きな橋(相生橋)を渡り、そのまま清澄通りに沿って歩いてゆく。

途中、素敵な立て看板を立てかけているフラワーショップを見つけたが、冷静に文章を考察すると、いやいやもっと休んでくれ!とツッコミたくなる。いや待てよ、店長が男性で子供を産んだ奥さんを支えるために、休んでいるんだとしたら...いやでもこの力強い筆は奥さんが店の切り盛りをしていて、我が子を産み、すぐに職場復帰するスーパーママさんに間違いない、やはりもっと休むべき...いいや、頑張る人たちはみな美しい。

そんなことを考えながら歩いていると、門前仲町駅を通り過ぎ、清澄白河地区に流れ着いた。
左手に清澄庭園、右手に東京下町の感を醸し出している通りがあり、僕は迷うことなく清澄通りを右に折れた。

深川江戸資料館通りと命名されたその道を歩いてゆくと、今度は怪しげな妖気を垂れ流す神社に遭遇した。

重厚な岩門には「出世不動尊」と赤文字で刻印されている。
出世とはなんとストレートに人間の欲望を叶えてくれるのであろうか。社会の荒波に揉まれるサラリーマンたるもの、お祈りするだけで出世するのであれば、ここで祈らない訳にはいかない。ああ、私は罪深き男です、どうか社内政治巻き込まれることなく、年収1000万円のポストをください。厳しいようであれば、社内政治に巻き込まれても構いませんので、年収5000万円...

自らの醜態をお不動様に晒してきたところで(そもそもこの神社は人間が元来持つ醜い部分を炙り出すことによって、心を清らかにしてくれるのかもしれない。そう思うことにした)、いよいよ空腹の限界である。
時刻は15時を回っている。

僕は再び深川江戸資料館通りに出て、まあ当然あるでしょうに、と予想できた「深川江戸資料館」を傍目に、一軒の黄金色に輝く定食屋さんを発見した。

「深川めし 深川どんぶり 深川釜匠」。
清澄白河駅の南東一体を「深川地区」と呼ぶらしいことは地図を見て知っていたので、ご当地グルメであろうことは見当がついた。
僕が求めていたのは間違いなくこのお店である。
外観がやけに新しく、歴史の街に似つかわしくないのが玉に瑕だが、これもまた一興。僕は早速入店した。
若い金髪のお姉さんに2階の座敷へと案内されると、そこには田舎のおじいちゃんの家を思い出させる古びた空間があり、暖簾で仕切られた厨房は明らかに家庭の台所である。

僕はメニュー表を見て迷うことなく、というか深川めしと深川どんぶりとその両方セットの3つしかない、故に迷いようがないので、一番上に載っている深川めし(¥1,090)を注文した。

深川めしは江戸時代、深川に住んでいた漁師たちが仕事の合間に食べたというぶっかけ飯をルーツにもつ、いわゆる大衆の飯である。
醤油ベースの炊き込みご飯に、あさりと薬味のねぎをのせたシンプルなどんぶりであった。僕は空になった胃袋に勢いよくそれらを流し込んだ。ある時は味噌汁をすすりながら、またある時はたくあんと一緒に。
江戸深川の漁師から脈々を受け継がれてきた味が五臓六腑に染み渡ってゆく。
僕は月島でもんじゃに妥協せずよかったとこれまでにない愉悦を感じた。
(懸念点をあげるとすれば量が多すぎることで、最後3くちになる頃には箸が完全に止まってしまっていた)

さて、腹も満たされたところで僕は深川釜匠を出て、再び深川江戸資料館通りに戻ってきた。あとは東京スカイツリーに向かってゆくだけである。
しかし、深川江戸資料館通りをさらに東へ進んでいくと、視界の端に古本屋が飛び込んできたので、やむなく寄り道をする。本を愛するものとして素通りはできない。それは本に対する礼儀であり、仁義でもある。

「しまぶっく」と柔らかなフォントで掲げられた店名は大変好感が持てた。本とは行き場を失い路頭に迷った人々が最後に取りつく「島」である。
名の由来は知らぬが勝手にそうだと思い込み、笑みを浮かべて本を眺める。

安い。まだ質の良い文庫本が100円で購入できてしまう。若者よ、急げ。
書を捨て街へ出て、しまぶっくで書を買うのだ。
僕は朝井リョウの「何様」と村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の2冊を200円で購入し、満悦の表情で店を後にした。

東京スカイツリーの下で

時刻は16時をまわり、いよいよ東京大散歩も大詰めである。
流石に清澄白河から東京スカイツリーの街「押上」へは歩ける体力と時間が残されていなかったので、バスに乗った。
都営バスなら210円。23区内であれば大体どこでも走っているという環境は京都市と同じである。

「白川」から「とうきょうスカイツリー駅」へ。
時間にしておよそ数十分。やはり交通機関は便利である。

2008年に着工、2012年完成の高さ634m、総事業費650億円。
一般公募で集められた名称は、言葉の美しさや親しみやすさなどを基準に選出されたというが、最終候補に「ライジングイーストタワー」が残っている時点で美しさとはなんたるかと考えさせられる。

晴れて「東京スカイツリー」と命名された世界一高いテレビ塔を下から望めば、首が痛くなるほど天に伸びていた。
厚い雲が空にかかりつつあったので、初めての展望台からの景色は後世に大事にとっておくことにし、スカイツリーの真下にある商業施設「東京ソラマチ」へと足を運ぶ。

東京ソラマチはスカイツリーと同じく2012年に開業したお洒落な商業施設で、水族館すら内包するエンターテイメント性は間違いなく人々を1日中楽しませてくれるだろう。
僕は期待に胸を躍らせながら入店した。

そして、すぐに迷った。

行きたい場所に一筋縄では行けない、店内はドンキホーテより複雑怪奇である。何をコンセプトにしたフロアなのか分からず、フロア自体が縦に長いということも移動を困難にしていた。

というか行きたい場所などない。
ふらふらと彷徨い、人の多さに酔ってきた頃に施設を出た。

そろそろ家路に着こうと思い、東武鉄道伊勢崎線に沿って歩き、浅草を目指すことにした。東京メトロ銀座線に乗れば、渋谷まで一本で帰れる。

川沿の道を西へ向かうと、東武鉄道の高架下に新しい商業施設「ミズマチ」なるものが6月から7月にかけて順次オープンしているらしく、リバーサイドのゆっくりとした時間感覚の中、家族連れやカップルが楽しそうに歩いていた(写真右の高架下に小洒落たお店が連なっている)。

隅田公園を通り過ぎ、隅田川に出ると、ミズマチ開業に合わせて架けられた「すみだリバーウォーク」が鉄道の下を這うように向こう岸まで伸びていた。

以前ここは人が通れる橋ではなく、あくまで電車のための橋梁であったが、ミズマチ、ソラマチへの人の往来を増やすために東武鉄道が架けたのだろう(ミズマチもソラマチもスカイツリーも東武鉄道の資本が入っている)。

つくづく東京という街はまばたきをする間にどんどん変わってゆく街である。変わらないものを置き去りに未来へと突き進んでいく様は、何かに囚われているようにも映る。
東京の時間感覚に自らの時間感覚がさらわれぬよう、目を凝らし、耳をすまし、自分自身で自らの生を進めてゆかなければ、彩のない人生になってしまうだろう。

僕は麗かに流れる隅田川を眺めながら、来週はどこへ行こうかとスキップをして浅草駅へと向かった。


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参考と訪れた場所
・國分功一郎 著「暇と退屈の倫理学」(『環世界』 p.269)
・浜離宮恩賜庭園(https://goo.gl/maps/iQsr5FhcMCHVia6t6
・喫茶You
https://goo.gl/maps/iiYSQ7MdpeAfdh7s5
・長専院 出世不動尊(https://goo.gl/maps/P5k66ApnbwmKcBRx5
・深川釜匠(https://goo.gl/maps/KKZjX7Z3TL5Wjr257
・しまぶっく(https://goo.gl/maps/TpauSeiN76oFRpoRA
・東京ソラマチ(https://goo.gl/maps/Q25croeKgfhvqHpQ6
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