![これから沖縄3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/17391932/rectangle_large_type_2_f3eb3b410840b340ee0fcc43af94eda6.jpeg?width=1200)
徒歩で日本を縦断した話 (下)
この話は「日本を縦断した話(上)」の続きである。
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「いいことがあるから笑顔になるんじゃなくて、笑顔でいるからいいことがある」Mr.Childrenの歌の中にそんなフレーズがあり、それは大方正しいように思えた。
金子と兵庫県は西脇市で別れた後、僕は久しぶりに気の置けない友人と話ができた充足感からか愉快な気持ちで歩を進めていた。すると、一台の車が僕の前に停車した。「ねえ、僕、旅してるの?」おしゃれな40台前後の女性(もう少し若く見えるが、後の話の中で確かそれくらいだと言っていた)が車から降りてきて、笑顔で僕に話かけてくれた。僕は嬉しくなり、同じく笑顔で「はい!」と答えると、「ちょっとその辺でお茶しようよ!車乗りなよ!」と提案してくれた。流石にここまできて車を使ってショートカットするのは憚られたが、またこの地点に送ってもらえばいいかと思い、提案に乗ることにした。女性の名前はみちょさんと言って、助手席に乗り込んだ。運転席には大ちゃんという男性がいて「日本縦断か〜!すごいな〜」とケタケタ笑っていた。3人を乗せた車は近くのマクドナルドに停まる。「マクドナルドで申し訳ないね」とみちょさんは言ったが、正直食べ物などどうでもよく、誰かとお話ができればそれだけでよかった。
「それにしてもなんでまた日本縦断なんているの?しかも徒歩で!」席に着くなり二人は興味津々な様子で僕に尋ねてきた。確かな答えを持ち合わせていなかった僕は当初思っていた「大学生のうちに、社会人になる前に、今しかできないことをやっておこうと思って」と話が弾むわけではないが、それなりに一理ありそうな回答をした。二人は顔を見合わせて感心したように「すごいな〜!うちの子にも会わせたいよ」と言った。二人は夫婦で子供が3人いるみたいだった。大家族である。「下の子がまだ小学生でね、きっとよっぺくんみたいな子に会ったら大喜びすると思うんだよ」僕は少し照れながら「会いたかったです」と答えた。それは真意で、僕はこの時、話を聞く限りとびきり幸せそうに暮らしている夫婦、そして家族に対して興味があって、生涯を未婚のまま終える人たちの割合が高くなっているここ日本において、結婚し家族を作り幸せに暮らすとはどういうことなのか知りたいという気持ちが膨らんでいた。僕たちの会話は終始弾んでいて、外はあっという間に茜色に染まっていた。「そろそろ行かなきゃ」僕がボソッと呟くと「そうだよね〜、とっても楽しかった!話しかけてよかったよ!」と言ってくれた。僕はその一言が聞くことができ、「僕も楽しかったです」と言い、立ち上がった。
「本当に車で拾った場所まで戻るの?」みちょさんは心配して何度も聞いてくれたが、僕の意志は固くその度に「はい」と答えた。僕らが出会った場所へ戻った時には夕闇はすぐそこまで迫っていてどこか寂寞の感が強くなっていた。「ありがとうございました」僕がお礼を言うと二人は「また会おう。今度はウチに遊びにおいでよ」とお世辞ではなく本気でそう言ってくれた(と思う)。僕もほんの数時間のことではあったが、二人のことが大好きになったし、会ったこともないその家族たちに会いたいという思いが強くなっていたので、力強く「はい」と返事を返した。
僕は再び歩き出した。幸せのカタチは多くあると思う。結婚して家族になるのも一つの選択肢に過ぎない。あくまで僕はまだ何が正しく、何が正しくないのか、社会で生きていくと多くの人が幸せの定義の一つとして選ぶことでさえも、これが幸せと決めつけたくなかった。少なくとも選択肢として提示されているものは自分で考え自分で決めたかった。結婚や子供もその一つだ。ただ、この時の僕は家族、あるいは夫婦という集合体が幸せを増幅させるのではないかと、そんな風に考えるようになっていた。
みちょさんと大ちゃん夫妻は今日の夜、子供達とどんな会話をしただろうか。「今日、徒歩で日本縦断してる若者に会ってさ〜」美味しそうなご飯を囲みながら家族団欒の時を過ごしてくれているかもしれない。僕はそんな妄想を膨らませながら、今日の野営地を目指して先を急いだ。
みちょさんと大ちゃん夫妻。いつまでも仲良く暮らしていてほしい。そしていつかまた、会えるといいな。
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後々から振り返っても日本縦断の旅で最も感情が動かされた町の一つなんじゃないかと思う。
日本縦断をGoogleマップに指し示された通りに、最短ルートで進んでいた僕は、兵庫県姫路市に到着していた。姫路市には港があり、その港から小豆島を経由して四国は香川県に突入する。つまり本州最後の町だ。
少し感慨深い気持ちになりながら、久しぶりに宿を予約し、毎日徒歩と野宿を繰り返して酷使した体を休めようと考えた。
予約したのは1泊3000円もしないホステルで、1階が居酒屋になっていた。ガラガラと戸を開けると如何にも関西人なおばちゃんオーナーが「いらっしゃい!」とこちらが気後れするほど元気に出迎えてくれた。「大きな荷物背負って...、旅してるのかい?」おばちゃんが興味津々に尋ねてくるのを僕は「歩いて日本縦断しています」といつものように答えた。おばちゃんは悪戯を思いついた子供のようににんまりと笑い「あんたすごいねえ!上の階が部屋になってるから、荷物置いたら降りて来なさい。一緒にご飯食べましょう」と急かすように言い立てた。
時刻は夕方5時頃ではあったが、店内も常連さんでちらほら埋まっており、僕も少しばかり空腹だった。荷物を部屋におろし、1階に戻るとカウンターに案内され、着席間も無くおでんが出された。「姫路のおでんは生姜醤油で食べるんやで。どや、うまいやろ」とおばちゃんは言うが、僕はまだ大根をフーフーしていて口に運べていない。ネコ舌の僕がようやく口に運び、「うまい」と口にするときにはおばちゃんはカウンターから飛び出し、常連さんと楽しそうに談笑していた。口の中で生姜が広がり、出汁の風味が追いかけるように体を駆け巡る。カウンターの隣に座っていた常連とみられるおっちゃんは僕を見ながらニッと笑った。温かいお店だなと思った。温かで優しいお店は、お店とお客さんが一蓮托生で作りあげるものなのかもしれない。この優しい居酒屋が、優しい居酒屋たるには何年もかかったかもしれないし、おばちゃんの人の良さが優しいお客さんを惹きつけ、数日で出来上がったかもしれない。本当のことはわからないが、こんなお店は作りたくてもなかなか作れるものではないと思う。ここにたどり着けてよかった。心の中で嬉々たる思いを反芻していると、いつの間にかカウンターに戻って来たおばちゃんに「あんた夜の姫路城は見たんかい?ありゃあ見なきゃ損やで。行ってき」と言われ、やや追い出される形で僕は外に出た。
姫路城は昼の間にひとしきり見ていたので、なんとなく姫路駅の方へ歩いてみる。11月の夜風は少し冷たかったが、書き入れ時を迎えた夜の飲屋街は活気付いていて、人々の熱気が伝わって来た。姫路城を中心に江戸時代から長く続く城下町は碁盤の目のように道が交差していて、京都みたいだな、ともう2ヶ月近く帰っていない下宿を思い出す。姫路駅は綺麗に整備され、行き交う人々はどこか温かな雰囲気である。
仕事を終え家路に着くサラリーマン、これから一杯やるぞと勢いづく大学生と思しき集団、手を繋ぎ幸せそうに歩くカップル。僕はひとしきり駅を眺めた後に元来た道を戻ろうと振り返った。するとそこには、おばちゃんが僕を半ば強制的に外へ追いやった意味がわかるような景色が広がっていた。
姫路城である。駅から一本道、目抜き通りのその先に聳え立つ白鷺城。先の大戦でB-29からの爆撃に晒されながらも奇跡的に焼失を免れた天守閣だというのは後から知った話である。僕は思わず息を飲んだ。昼間見たそれとはおよそ印象が異なり、この町の雰囲気は全て姫路城から発せられる大いなる力によって支えられている気がした。
ホステル(居酒屋)に帰ると、例のごとくおばちゃんが元気よく出迎えてくれ、「どうやった?よかったやろ」と聞いてきた。僕は「はい」と深く頷いて、おばちゃんに「明日も泊まっていいですか」と尋ねていた。ええで、ええでとおばちゃんはまたしても悪戯っぽく笑い、僕もつられて笑った。
感じた全てを言葉にできないが、この町は僕にとって、生きていく上で忘れてはならない心のあり方を教えてくれた気がする。ちなみに宿泊したホステルは「ワンホステル アンド スタンディングバー」。姫路に行く際はぜひ。
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僕らの記憶は常に断片的であり、その断片と断片の整合性を保つために過去は美化され、今は犯され、未来へと進んでいく。
歩いている間は振り返らないと決めている。居心地のいい街や宿泊地はこれまでたくさんあった。このまま旅をやめてここに留まりたいなと思うほど素敵な出会いもたくさんあった。でもその度に沖縄まで歩くという自滅的な宿命が僕を突き動かし、ここまで来た。振り返るのは旅が終わってからでいい。
ボッーとフェリーがエンジン音を鳴らし、愛媛県の八幡浜港を離れる。フェリーが向かう先は大分県別府市である。
甲板に上がり、風を感じながらふと寂しい気持ちが込み上げてきた。旅の残り日数が数えられるほど減ってきているからかもしれないし、愛媛県を離れたくなかったからかもしれない。時速50kmで進むフェリーは一瞬で八幡浜港を豆粒ほどの大きさにしてしまった。
「エモい」ふと誰もいない甲板で呟く。この言葉自体、解像度が低く、揺れ動く感情を十把一絡げに圧縮してしまうようであまり好きになれなかった。しかし、松山市の友人宅滞在中、友人と口を揃えて「エモいなあ」と言うたびに徐々に愛着が湧いてきていた。
僕は松山市で友人と同じ時間を共有し、同じ景色を見て、同じ空気を吸ったあの一瞬一瞬の感情を、「エモい」という言葉に閉じ込め、記憶の断片を作っていったのだ。
断片同士で結んだ星座を光り輝かせるために僕はこの旅を終わらせねばならない。
僕は新たな気持ちで最後から4番目の県、大分県に降り立った。
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九州に入り、少しだけ暖かくなったような気がする。大分県別府市では友人宅に宿泊し、温泉に浸かり、名物とり天を食べた。最終目的地 沖縄を見据え体は万全の状態である。
暖かいといえど、朝晩は相当冷え込む。こんな時に体を壊してしまっては元も子もないと、宿に泊まるような利口さを持ち合わせた人間ならば、そもそも歩いて日本縦断などしないだろう。僕は寒さから逃れるには歩いて南下するしかないと考えていた。生粋の阿呆である。それでも徒歩とフェリーだけでここまできた。僕は矜持を持って沖縄を目指し、南へとぐんぐん進む。旅中に鍛えた距離計算能力で残り日数をはじき出せば、10日かからずして鹿児島に到着する予定だ。
今日は別府市を出るのが比較的遅かったため、道の駅みえがある豊後大野市に入る頃には日が暮れてしまっていた。薄暗い山道を一人歩いていると、稀に自動車が横切って行くのだが、僕は気にもとめず妄想とも呼べるような考え事に耽る。「すみませーん」大きな声で呼ばれた気がしたので、振り返ると、白い軽バンから降りてきた男性二人組が手を振ってこちらを見ている。暗くてよく見えないので、僕が知り得る情報は「大柄な男性と小柄な男性、そして軽バン」という、一見すると暢気に近づいて要望に応じるには少なすぎる情報量である。時刻は18時を過ぎた田舎の山中、軽バンに乗る男性二人組に声をかけられたら応じてはならない、というのは社会の常識第一条一文目かもしれない。しかし、僕は旅人だ。常識などに囚われていたらそもそも歩いて日本縦断などしていない。僕は嬉々とした感情で軽バンの目の前まで来ていて「はい!」と元気よく応じていた。「旅人ですか?」小柄な男性は僕に話しかける。「はい。歩いて日本縦断しています」この回答は人々の度肝を抜き、一気に興味関心を引きつける魔法の言葉だということは、今回の旅で学んでいる。「おお、いいねぇ、徒歩ダーだ。もし余裕あるならたこ焼き食べない?」大柄な男性の声は妙に落ち着いていて、度肝を抜かれていないらしい。しかも興味を持ったのは「徒歩」という手段のところで日本縦断に関しては当然の事のようにスルーされた。まるで、僕が日本縦断をしていると知っていたかのように。
軽バンの助手席に乗り込むと、大柄な男性(名をすけさんと言った)は「僕ら2人も旅人なんだ。僕がヒッチハイクで、はらすけさん(小柄な男性。"すけ"の被りが紛らわしく最後まで名前を覚えるのに苦労した)が自転車で日本一周してたんだよ」なるほど。さきほど僕の日本縦断を驚きもせずに、さらには手段を気にしたのは、同じ畑にいるものとしては当然の言動だ。
2人の旅話を聞きたいところではあったが、3人を乗せた車は間もなくして、小さな平家に着いた。「ここだよ。実は僕らはかぼす農園で住み込みバイトをしていて、他にも2人旅人がいるよ」案内されて入った平家は、かぼす農園の事務所らしく、石油ストーブのどこか懐かしい匂いが充満していた。「おーい、旅人捕獲してきたよー」僕はどうやら捕獲されたらしい。事務所に隣接されている小さな小屋から2人の旅人が事務所に入ってきて、僕含め計5人の旅人が小さな平家に集まった。ここまでの人数と対峙するのは久々だと心が弾む。「おおー、徒歩で日本縦断?」はい、と頷くと「俺もなんだよね、今はここ、かぼす農園でバイトして沖縄に行く資金を貯めてるんだ」と整った顔立ちのお兄さん(名はよこみーさんと言った)が、にこにこしながら近寄ってきた。どうやら、ここに集う4人はそれぞれが旅の資金を集めるために住み込みで働いているらしい。かぼす農園の社長から声をかけられ、働きに来ている人、僕のように旅中に"捕獲"された人など、理由は様々である。旅という予測不可能な道中で、偶然集結した僕らは、少なくとも僕は、運命に近しい「縁」を感じていた。
「今日はどうするの?もし時間が許すならここに泊まって1日でも働いていったら?社長には電話しとくよ」よこみーさんの面白そうな提案に高まる好奇心を抑えきれず、「お願いします!」と元気よく答えていた。これだから旅は面白い。
僕はすけさんが作ってくれたたこ焼きをありがたく平らげ、事務所に隣接された小さな小屋に案内された。どうやらすけさんは例の軽バンで睡眠を取るらしく、6畳ほどの小屋で残り3人は寝ているらしい。見渡す限り僕の寝るスペースはなかったが、壁際に積まれていた毛布を退けるとちょうど1人分のスペースができた。小屋の中はモノが多く、決して綺麗に整えられているわけではなかったが、秩序が保たれており、3人の旅人の生活感溢れる温かな空間だった。
ひとまず凍死を免れたという安堵感と、同じく旅をする優しい人たちと出会えた充足感から、僕は布団に潜り込むと同時にこんこんと寝入った。
次の日の朝は早かった。7時頃には事務所に旅人たち、社員、そして社長が集まった。僕は改めて社長に挨拶をし、「本日は1日働かせてください」と言った。「また旅人増えたの!よろしくね。それにしても、よく捕まえたね」「そうなんですよ。この事務所の先が道の駅だから、旅人はここを通るのかもしれませんね」「もうここを旅人の聖地にしましょう」社長と旅人たちの盛り上がる会話を傍目に、ここは孤独を愛しながらも、孤独からの逃走を試みようとする旅人たちの交差点であり、居場所であるとしみじみと感じた。この世界のどこにも居場所がないというのは辛く苦しいことだが、こんな居場所を1つでも持っていたら、それでもう十分ではないか。あいにく、ここを居場所にするには数日の宿泊では短すぎるが、少なくとも僕が知りうる日本の中では指折りの地点として登録しおくことはできそうだ。
かぼす農園での業務は様々だった。かぼすの収穫やかぼす果汁の搾り出し、梱包業務など、想像通りといえば想像通りではあるが、どれも初めての体験で、旅人たちと和気藹々と楽しく作業をした。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってゆく。あるいは終わりがくるという意識がアクセルとなり、時間感覚を加速させるのかもしれない。日が暮れ、終業時間になった。ふうっと一息ついていると、社長奥さんが「あんた明日でいなくなるんでしょ。今日はみんなで美味しいもの食べなさい。少ししかないけど、これあげるから」と言って、僕らに3000円を渡してくれた。遠慮しつつも、譲らない奥さんに、「それでは」とありがたく受け取ることにした。
夕ご飯は全会一致で鍋と決まり、早速近所のスーパーに買い出しに行く。ありったけの肉、野菜、酒を購入し、「宴だ、宴だ」と唱えながら事務所に戻ってゆく。宴など、漫画ワンピースの中だけの話だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。人数ではワンピースの宴には劣るものの、この気持ちの昂り、事務所の熱気を表すには、「宴」という言葉を使うほかない。
皆の箸が止まり、口数が少なくなってきた頃合いを見て、会はお開きとなった。短く、長い夜だった。明日の朝にはここを出なければならないという現実は幾ばくか心に憂いをもたらしたが、1週間後には沖縄だと思うとこれ以上ここに留まることはできない。社長も「何日もいたらいいよ」と言ってくれたが、あと1日でも延泊すれば、ここの居心地の良さから抜け出せなくなってしまうだろう。
次の日の朝、僕は予定通りにかぼす農園を出発した。かぼす農園の旅人たちとの出会いは、僕の旅の中で最も多くの色彩を持ち、色褪せることなく心に刻まれている。それはあの居場所、かぼす農園が、様々な事情を抱えている旅人をプラットホームのように優しく出迎え、そして送り出しているからかもしれない。本来ならば出会うことはなかったであろう僕たちが、強力な縁によって引き寄せられ、出会った。意味などない。そこには初老の社長と奥さんで経営されているかぼす農園があるだけだ。
あいにくの悪天候につき、空はひとしきり灰色だったが、振り返ると小さくなったかぼす農園があり、その先には北海道新千歳空港から歩いてきた道が全て繋がっている。そう思うと、あともう少し、頑張れそうな気がした。
大有機かぼす農園で出会った旅人たち。ここにかぼす農園がなければ僕らは出会わなかった。こちらからオンラインショップで美味しいかぼすが買えます。
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僕は大分県から宮崎県を通って、最後から2番目の県、鹿児島県に入っていた。鹿児島県に突入してからというもの、気分はもうゴールしたも同然で一歩踏み出すごとに不敵な笑みを浮かべていた。運がいいことに道中の多くが田舎道で、人との遭遇が少なかったため、警察には通報されずに済んだ。街中で笑みを浮かべながら、大きな荷物を背負い歩く金髪の人間を見つけたら、すぐに警察を呼ぶだろう。僕なら迷うことなくそうする。
鹿児島県は短く3日目でとうとう沖縄に続く港がある鹿児島市に到着した。大きな桜島がうっすらと煙を纏いながら、鹿児島市を見下ろしている。いい街だなと思う。多くの街を歩いてきて、心が揺さぶられる街には共通して、象徴的な建築物や造形物、自然物があり、人々の生活と溶け合っている、ということがわかっている。ここ、鹿児島市も活火山として今も尚、活動をやめない火山のもとで、畏れや信仰を持ち、暮らしている。
実はそんな素敵な街に暮らす、素敵な人と出会う機会があった。名はあさこさんといい、旅の道中を更新していたInstagramをフォローしてくれた方である。僕のストーリーの投稿によく返信をくれていて、鹿児島を通ることを告げると、「私、鹿児島に住んでいるのよ。美味しいものを食べさせてあげるから、鹿児島に着いたら連絡してよ」と返信がきたのだ。インターネットで知り合った人と出会い、ホイホイついていってはいけない、というのは現代の義務教育で習うこと一丁目一番地かもしれない。しかし、僕は旅人だ。出会いの機会を恐れていてはそもそも歩いて日本縦断などしていない。
約束の時間にあさこさんと会い、例のごとく、僕はホイホイついていった。あさこさんの他に、あさこさんの職場の同僚であるという、カズさんという方もおり、3人を乗せた車は、鹿児島ではチェーン店になっている焼肉屋に到着した。僕は嬉々として焼肉を貪り食べながら、弾む会話に心地よさを覚えていた。僕はどうしても2人に聞きたいことがあり、それは噴煙が今もなお立ち込めている桜島を見た瞬間に思った疑問だった。
「桜島から火山灰は飛んでこないんですか」
「くる!くる!もうひどい時は車のフロントガラスは火山灰まみれになっているよ。外出ができない時もあるし」
桜島は今も尚活動を続け、休むことを知らない。噴火、それに伴う降灰は、日常として受け入れられているらしい。
「それって不便じゃないんですか」
「不便じゃないかな。もう慣れたっていうか、それが普通というか」
僕にはよくわからなかった。少年時代からテレビで流れる桜島噴火のもとで火山灰降る街に住む人々や豪雪地帯で雪かきをする人々など、生活に支障をきたす自然災害が起こることがわかっているのに、その場所に住み続けるということが。
「それが普通」
あさこさんとカズさんは笑いながら言う。昼間に見た雄大な桜島に抱いた畏敬の念と、目の前に座る鹿児島在住の二人の話を聞いて、僕はこれまで見てきた鹿児島、および僕の旅の記憶の断片が繋がって大きな絵になっていく感覚を覚えた。
きっと僕らは弱くない。生活に支障をきたすほどの自然災害が多々起こる地に生を受けたという運命の悪戯をも受け入れ、笑って暮らしている。
僕らにとって大事なものは、運命を変えていくという強い意志を持って生きるというよりもむしろ、如何しようも無い運命を受け入れ、その環境の中で幸せになるという意志なのではないか。きっと僕の日本縦断もそうだ。大学生活を楽しんでやる、運命を変えてやるという強い意志があり、実行に移したかというと、そんなたいそうな話ではない。結局何者にもなれない自分がいて、何者かにならなくてはならないという社会の抑圧があり、それらから逃れるための手段として、歩いて日本縦断を選んだのだ。日本縦断はどうしようもなく追い込まれた僕がとった行動であり、「何者かになれ」という現代社会の呪いにも似た強迫観念から逃げるため ——歩いて日本縦断という一見すると何やらすごそうなことをして自分を表す記号を手に入れるために、僕は旅に出たのだ。
きっと、どうすることもできない自然環境や社会構造を受け入れるところから僕らの人生は始まる。それは諦めのようで、諦めではなく、現実逃避のようで、現実逃避ではない。今の自分が置かれている環境を俯瞰して、自己を満足させる防衛機制なのだ。
僕はじぶんが旅に出た理由が少しだけ分かった気がした。その頃にはもうテーブルに焼肉はなく、僕は一口だけ残っていたかぼすサワーを飲み干した。「今日は本当にありがとうございました。楽しかったです」僕は胸のつかえが取れ、食欲も満たされたタイミングでそう告げた。「私たちもすごく楽しかったよ!久しぶりに若さを感じた。私たちも頑張らなきゃね」あさこさんとカズさんの笑顔をみて、僕は最後から2番目の県に相応しい街だったなとつくづくと思った。店を出て、車に乗り込む。3人を乗せた車は僕の宿泊を予定しているゲストハウスに向かって海沿いを走っていった。
鹿児島市から望む桜島。山の上部には常に雲のような霧のような噴煙が立ち込めていた。不思議と畏怖の念がこみ上げてくる。
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僕らはみな居場所を探して旅に出る。
でも結局見つからないのだ。旅先に自分の居場所なんてない。むしろ、旅に出た先に自分の居場所を見つけてしまった時のことを想像してみてほしい。自分探しの旅にインドへ行きます、と言ってインドで自分の居場所を発見してしまったら、どうすればよいのだろうか。ちょっとしたホラーである。本当にあった怖い話より怖い。
旅、それ自体で居場所は見つからない。旅によって見た景色や出会った人、それらを通して見ることができるじぶんこそ究極的な意味で居場所なのかもしれない。
人生100年時代、じぶんが望んでこの体を選んで生まれてきたわけではないが、生まれてきた以上は幸せになりたい。となるとやはりじぶんを好きになること、愛することが必須のような気がする。じぶんを社会から切り離し、鏡を見つめるとだいたい醜いし、嫌いだ。でも、誰かを通して、何かを通して、見るじぶんは少しばかり違った風に見える。旅をしているじぶん。沖縄まで歩けてしまうじぶん。気のおけない友達と饒舌に喋っているじぶん。好きな人が好きと言ってくれるじぶん。どれも、社会や人と繋がると、鏡の前の情けない男とは一風変わったいい男になる(ときがある)。
そんなじぶんを、残りの人生でどれほど見つけられるだろうか。
好きな友人たちや好きな景色を接しているじぶんが僕の居場所であり、これからもずっと大切にしていきたいと思う姿である。
fin..
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Gallery
<北海道>林道を歩いていたら軽トラに乗ったのおっちゃんにもらった冊子。下手したらヒグマに食べられていた。
<北海道>支笏湖のほとり。風が強く、朝晩は冷え込み、日本縦断なんてやめたいと強く思わせてくれた。
<北海道>広大な大地
<北海道>りゅーじとばんりゅー。函館で出会った同い年の二人。
<青森>本州に入ると田園風景が広がっている。当たり前だが、北海道にはなかった景色。
<青森>日本縦断(上)で紹介しただーてら君とは青森で出会い、写真を撮っていた。
<新潟>うんざりさせられるほど長い新潟県だが素敵な景色もたくさんあった。
<富山>日本一美しいとも言われる環水公園のスタバで飲んだキャラメルマキアート。店員さんに北海道から歩いてきましたと告げたらメッセージをくれた。
<福井>敦賀っぽい写真。福井県の名物ソースカツ丼を食べ損ねたので、次回チャレンジ。
<兵庫>姫路港。本州を歩ききった記念。
<兵庫>神戸の大学に通う高校の同級生がはるばる姫路までラーメンをおごりに来てくれた。確かラーメンの味は普通だったような。
<香川>小豆島を経由して、四国に突入。
<香川>高校時代の友人が日本縦断している僕を応援しに香川県までやってきてくれた。
<大分>別府市にて、今年から同じ会社で働く同期の家に泊めてもらった。とり天とか、唐揚げとか、温泉とか、素敵な街だった。
<大分>かぼす農園にて、かぼすの収穫業務に勤しむ私。社長さんのご厚意に感謝しています。
<宮崎>クルスの海。願いが叶うらしい。無事日本縦断終わりますように、と。
<鹿児島>あさこさんとカズさん。美味しい焼肉をごちごちそうさまでした。また鹿児島行きますね。
<沖縄>祝・徒歩で日本縦断達成。この頃には髪の毛が伸びきっていて、清潔感がまるでない。無事歩けたのでよし。
<沖縄>フクギ並木の猫。愛くるしい。沖縄最高。
<沖縄>中学時代の友人と。沖縄県ではヒッチハイクで移動した。生粋の旅人である。
<沖縄>大学の先輩がなぜか沖縄にいたので会った。
<沖縄>友人の友人は友人であるという信条のもと、琉球大学の方々と飲んだ。ちなみに友人は僕の左下にいる女性。テキーラっぽいのを結構飲んだ(飲まされた)。沖縄最高。
<沖縄>ずっと留まりたいほど素敵な時間だった。
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みなさん本当にありがとうございました!!!!
この文章で全てを書き切れたとは到底言い難いですが、満足のいく内容にはなったかなと思います。引き続きよろしくお願いいたします。
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![Yohei Sassa](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/166076186/profile_001fb5a64ea224896aeedf6d94ea2728.png?width=600&crop=1:1,smart)