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ぐるぐるめぐりたい

ふと予定が変更になって時間が空いて、この現実は私に何をする時間をくれたのかと味わってみたら文字を書けと聞こえてきた👂

ので文字を書く。


たぶん美味しい素材の味

直感で一つ制約。いつもだったら咀嚼して何度も書き直すであろう文章を今日はほぼ生でだしちゃう。これわりと大事な未完了。
さっちゃんてさ味付け濃くない?ってしおけんもこないだ言ってくれた。

ついつい煮込んじゃうけど今日はバーニャカウダ🥕


コーチングってなんなん?コーチングしてる私ってなんなん?南南東?

南南東ではない

この1ヶ月、何度も何度もこの問いが降ってきたしちょいスランプを過ごしてたのね、ここ1~2ヶ月くらい。

おりこうさんな私が大道芸するようにセッションしてた。拍手はもらえるけどでもそうじゃないよね、ってMoreをぐるぐる。

ほいで、めちゃくちゃ厳しい審判が耳のそばでジャッジしてくる。
聞こえてくるありのままでいてね、のありのままが「アリノママ」にゲシュタルト崩壊してくる。

それはそれはやかましい時間を過ごしながら、コーチングってなんなん?って問い続けてきたので見えてきたものを書いてみる。



私にとってコーチングは呼吸だった

コーチングって遠目でみると「する」人ーコーチーがいて、「うける」人ークライアントーがいる。『クライアント募集します!』とか言ったりもする。
でも不思議なんだが、思議できないんだが、私が最近気づいちゃったのが、私から見えてるコーチングの60分にはコーチもクライアントもいないみたい。
ただ『私たち』だけがいるって感じ。聞いたことある言葉だと我と汝の関係性って表現が合うのかもしれない。。?

お互いが深く何かを吸って、思いっきり何かを吐いている。静寂な中でダイナミックな循環が起こっている。

私からgiveしてるしtakeもしてもらっている。お互いの中で何かが流れて動き出す感じもある。
これはクライアントの中でも起きているしコーチの中でも起きている。これめちゃくちゃすごいんだ。パワフルあんどクリエイティブ。

この60分で起きること全部、
外で鳴り出すサイレンもくしゃみもzoomが固まることも、私たちに何かを伝えようとしてやってくる。

ほんで面白いのが、これらに気づいちゃったのが2024/1/21で、なんかすごい日だったらしい。(何がすごいのかはわからない)


こんなことに気付いてから、セッションの時間が静寂になった。

外からやいのやいの言ってくる審判がいなくなった。

不思議で思議できないのが、消えたわけじゃない。排除したかったし排除すればしようとするほど叫ぶようなそんな妨害者たちが、みんな真剣に集中してクライアントさんをじっと見つめているような、そんな静かさ。

いやな自分を排除して無かったことにしないで、みんな含んで一緒に居る感じが心地よかった。

呼吸。
ヒッヒッフーかもしれないしハフハフかスーーーーハーーーーかもしれない。
人工呼吸が必要になるかもしれないし楽器を吹き出すかもしれない。

そんな時間を過ごしたくてコーチングをやめたくてもやめられない私がここにおる。



コーチやらクライアントやら、役割なんてギャグかもしれん

最近ようやくコーチングの「受け方」が分かってきた気がする。クライアントとしてコーチング受けるのに別に資格もないしプロもないのに、
クライアントとしてひたひたな状態になれるまで時間がかかった。まだまだ奥底を見るセッションはもっとありそう。1年以上かかるもんなんだ。

コーチングって目の前にはコーチさんがいるわけで、なんかしっかりもののおりこうさんになっちゃうんですよね。コーチするより難しいかも知れない、クライアントの時間を過ごすのって。

コーチングは受けようと思ったその瞬間から自分の中で何かが動き始めている。わざわざ内面で動き始めなくたって明日も変わらず日常過ごせると思うのに、なんか動き出してしまう。
これを無かったことにしないでセッション受けようと思えるのがまずスゴイ。

自分にとって大事なテーマほど、向き合いたがっている自分と、そう簡単に向き合わせない逃げたい自分が葛藤してなかなかスムーズに進まない。
ぐるぐるめぐるような、でもそれを受容してぐるぐるをぐるぐるのまま誰かと一緒に歩んでみる。

役割なんてギャグなので、私がセッション受ける時はコーチだかクライアントだかちょっとどうでもいい。クライアントの私がリードしてみたりコーチに提案してみたり、なんでもやりたくなったらやる。

こないだなんて、コーチに対して「おでこ出したら?」って提案言ったこともある。(まだ自分でも紐解けてない)

そんな感覚で、ちょっと受け方が分かってきてからいろんなコーチに会いに行ったし、自分がセッション受けてる動画も何回も見返したりした。
その時間で起きてること全部が尊かった。



あくびが出ると本質も出てしまう

私のセッションではたまに、まれに、よく、しばしば、クライアントさんからあくびが出る。

これが良いとか悪いとかそうじゃなくて、お互いがゆるまって、場が熟してくるとあくびだけじゃなくて本質のかけらが夢うつつで出てくることに気づいた。

気を張って頑張って日常を過ごしている人こそ、ゆるんで出てくる本質からは気づきが多い。いつも鳥肌がたつほど私も驚いている。

今日は気づかなかった、のも大事。そんだけ複雑なものがあることに気づける。大事なテーマを大事だと気づかせてくれる。




痛くも痒くもないセッションはしたくない

誰かから聞いたこの言葉が好きで、ずっと覚えている。

うんうん頷くだけならChatGPTの方が適任かもしれない。
でもクライアントとコーチが揃う場には感情があり時間が流れていて、変化が起き続けている

膿が溜まっているところに針を刺すかもしれないし、何か出たがっている背中があればぽんとたたくかもしれない。(※イメージ。セッションは完全オンラインなのでノータッチですご安心を🩹)

沸き起こる情動も、ぐるぐる滞っているものも全て味わい尽くして、感覚として感じてみる、そんな時間に意味があると私は思う。




これをここまで読んでくださった(物好きな)方と、私はぐるぐる話してみたい、めぐりたい。
おりこうさんな私が書いたセッション相手募集をここに置いておきます。
自分の何かが動き出したらいっしょにぐるぐるしましょう😴


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