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森でとじたもの、ひらいたもの



山中湖での森のリトリート


満ち足りたような、その中でどこか物足りない気持ちも含んで、今ここを書き連ねてみる。



※MBTIで言う、NFPの言語で書いているのでSTJの方々は異文化交流しましょう🤝
例の如く私のnoteは時系列ではないです😴

※森に連れていってくれたいっせい、ゆまちゃん、ゆりちゃん、最高の3日間でした。ありがとう🌳





森でとじたもの、ひらいたもの


12人で「生活」をする、自分の行為の足跡を見る


ほぼ初めましての12人。忙しない日常から遠い場所で生活をする。


タイムラインのない3日間。
ー日は相談から始まり、やりたいことに時間を充てる。リクエストする人もいれば流れに身を任せる人もいる。

役割もない。
火を育て、ご飯をつくり、掃除をする。
何もない場で自分から始める人もいれば、今いる場で起こったことに乗っかる人もいる。


良い旋律だなあと思った。


限りなく対等な場で起きていたこととして美しかった。
主催者と参加者が溶け込んでいる場はやっぱり好きだなと思った。



そんな生活を経て、最終日にもらった言葉は帰ってきた今もこだましている。



脱ぎっぱなしの靴、開きっぱなしのドア

自らの行為の足跡として、
自分の後ろに何が起こっているのか、

ぜひそれをみて欲しかったんですね

最後のチェックアウトで
宿坊のかつこさんからもらった言葉



きっと、きちんと礼儀正しく振る舞いなさい、と言いたかったのではないと思う。



自分が今どこにいて、
それが周囲の環境にどんな影響、インパクトを与えて、
自分の後ろにどのようにそれが続いていくのか


都会では麻痺する、こんなこと考えてたら改札も通れない、

そんな中私たちは現実から逃れて森にきた。

この場で、自分の行為の足跡にアンテナを向けるということ、
私は今ここでいったいどんな「居る」をしていたのか。


ちょっと立ち止まって、自分の足跡を振り返る。

ここ3日間で薄かったこの感覚は、帰ってきた今からでも目を向けてみようと思う。



二面性


そんなギャップあったんや


初対面で9割5分くらい言われる言葉。
今回も何度か言われた。


温厚に見えて鋭い言葉を選んだり、か弱そうにみえて急にパワーを出したり。混じり合わなさそうな二つの側面を同時にもっているみたい。

この3日間も二面性というテーマをにぎにぎしていた。




押し殺していたクソデカエネルギー


これまでどんな人生を歩んできて今どんな周期の中にいるのか、そんな対話をする時間があった。

これまでを振り返るとみえる大きく2つの時代


幼少期

人の役に立っている私をみて欲しい、困っているひとはみな私が背負う、私のエネルギーは人の役に立つお役目として湧いている、だって家族のみんなもそうでしょ、の時代

使命感

受験期以降

最速の「個」で走れ、追い抜き成長しろ、それ以外のことは高みを目指し切ってから迷え、今が一番若くて自由なはずだ、の時代

闘争心

これらを経て、これからどんな時代が自分の中にあるのか、周期があるとしたら今どのあたりにいるのか、について湧くままに話した。

今はきっとこの2つの時代が両方含まれている別の時代に入っていくような感じがした。
どちらも含んで超えていくように感じる。





2日目の昼、雪道の中森へ入った。相変わらずニューバランスで入ったので雪に足を取られる。

この日はたまたま流れで私が先頭になった。

いつもと違って前に誰もいない、
足跡も少ない、
いつもより視界が明るい、
空気が澄んでいて雪が眩しい、

自分の足音が大きく聞こえる


。。。。。

自分の足音だけしか聞こえない(!)


後ろを振り向くとけっこう遠くの方にみんながいた。



昨日までの、誰かのあとをついてひょこひょこ歩いていたときと違う力の漲りかたをしていた自分に驚いた。


ただ何も気にせずに歩みを楽しんで足を前に進めていたらひらいた距離。



そこれまでで浴びることが多かった言葉を思い出した。

なんか遠くにいっちゃったね

なぜかよく言われる


何度も言われてきたこの言葉、言われるたびに浮かぶのは、

自分は周りと離れてしまったのか?、進むのは後ろめたいこと?、止まってないといけないの?、休むのが善?、エネルギーの出しすぎは不器用?


これを繰り返しながら生きる人生はどこか自分をセーブしていたかもしれないなと気づく。

ちょうどこの日は朝からリーダーシップにアンテナが立っていた。自分がソース(源)になること、自己表現がテーマとして浮かんでいた。


遠慮しなくていい、進みたいだけ自分を注げばいい、が明日以降のテーマになりそう。


そうして探りながら次がはじまってひらいていくんだなと思う



古い私の死が始まる



3日目の臨死体験でのこと。
棺桶に入り死と再生を味わう。






棺桶にはじめて入った瞬間のぬくもり、蓋をしめてもらったときの安心感が心地よかった。


😴🙏
(写真はあえて割愛してみる)


少し長めの4分間弔ってもらった。

ここで自分は死が起きで4分後に再生が起こるのかなと思い、感じようとしている間に時間が経ち、本当に出たくなかった。

再生にはまだいない、死に切れていない私としてむくっと起き上がった。



ここで心地よかった感覚があったのは、きっと今まさに「死に切れていない古い自分の死」の期間を生きようとしているからだと思った。




富士山のかたちした地球


森に到着してもなかなか森に会えなかった。


座ってる場所は森なんだけど、現実にずっと引き留められる。
自分の足跡さえ自然を汚しているように思えたり。

一瞬ぐっと入り込めたのは2日目のお昼の森だったかな。

ずっと目を凝らして森を見ようとしたけどなかなか見えなくて、目を閉じて音に集中してみた。しばらくして目を開けた時にばっと森が目に入ってきた。

ばっ


二日目の朝、秘密の場所で日の出と太陽を見た。

腰を下ろして富士山を直視する。


どーん


静寂の中でただただ聳え立つ富士山は目に収まりきらなかった



富士山にとってこの大地はどんな感覚なのか
山を見ているようで、地続きになっている地球をみている感じがした


地球にもっと触れたい。その先にあるはずの宇宙もみたい





自分にfitするもの、しないもの


今回のリトリートのテーマは「ひらく」。

振り返ると結局ずっと自分の中で起きていたことは「とじる」だった。
意味付けをするなら、いつかひらく時のために「とじる」を黙々とやっていた。

閉じながら感じていたことは、何が自分にfitして、何に反発したくなるのか。

自然にも自分の居場所があるとしたら、それは海なのか森なのか、どこにあるのかを嗅ぎ回るのがこれからの生活のテーマの一つ。

fitした一つは湖だった。
引き込まれるものがあった。

ボートじゃなかった白鳥


ここでも自分はとじていた。とじた自分の中で波をききながら佇んだ。



fitしないものも大切な気づきになった。一つあげるとすると今回は耳に入ってくるもの。
音や声、言葉で跳ね返すものが沢山であった。


12人の生活はいろんな言葉と音が飛び交った。

そこには12人分の価値観と世界観が詰まったいろんなものがあった。
その中で反射や解釈として自分の中に起こったことは大切に気づいて摘んでおきたい🌱
これはきっと対立の種でもありそうだし調和の可能性でもある気がした。

対立にとどまるのは人生で一番大きな未完了かもしれない。



みんなの言ってる"寂しい"がわからない


最後のチェックアウトでこの3日間で起きたことや今の現在地をシェアしあった。
寂しいの声がたくさん聞こえた気がしたけどそんな中、今回私に寂しいって気持ちがなかったんだよなと振り返る。


私の中の何かが歯を食いしばって気持ちをなかったことにしているようにも感じる。

でも家に帰って髪に染み付いてた焚き火の匂いがちょっとずつ薄まるほな寂しかったかも。



言葉にしたもの、しなかったもの


自然に触れる時間以上に対話の時間が沢山あった。

自分の大切な話もたくさんした。
でもそれ以上に「言葉にしなかったもの」もたくさんあった。

今じゃないかな、今気づくのは嫌だ、本当に何なのか説明できない、
こんな言葉未満の何かをたくさん飲み込んだ。

今回はnoteにするかも迷った。
なにかを削ぎ落としてなかったことにしてしまいそうで虚しかったので、道中でクソデカキャンバスを買った。





起きたことからはじめる、その先にひらくもの



やらなきゃ、やりたい、よりも「どうせやるんだろう、やる流れの中にいそうなきがする」に立ってみる。

因果関係が見えていなくても、結果が保証されなくても、
行ってみるまで、やってみるまで、予想がつかないことをやってみる。

今どんな流れの中に立っているのか、その流れを感じたときに自分に何が起こるのか。




これからのテーマ


起きたことから始めるとしたら、今何が起きているのか、どんなテーマとして浮かんでいるのか


自分から始める、ソース(源)、今までなら選ばなかったことを選ぶ、自己表現、関係性、分かち合う、繋がる


ここから何がひらいてはじまるのかは分からないけど、おそらく2024年の下半期ごろにきっと何かはじめます、たぶん。


そして今回を振り返って気づいたこととしては、
音、声、言葉、静寂、
「聞こえてくるもの」が自分の中でハイライトされている👂


12人で生活しておもしろかったのが、最終日にみんなの声のボリュームが合わさってきていたように感じたこと。

今回はEの人もIの人もいたけれど、最終日はお互いが重なりあうような変容が起きていた気がした。

そういえば「まだ声にならない声をきく対話」という名前でコーチングセッションもやっていたところだった

まさか名前がシンクロしてたとは👂




そして、実は今ちょっとものたりない

何が足りなかったんやろ、何を受け取り、満たされていない狭間に何があるのか、
去年の自分ならひたひたに満足して終わったんやろか

今自分に何が起きているのかにはもう少し耳を澄ませたい所存👂


(↑企画がどうとかいう意味では全くない…!あくまで自分の中で起きたことmm)





この機会をつくってくれたいっせい、ゆまちゃん、ゆりちゃんには感謝しかありません。自分がちょうど森に入りたいタイミングで現れてくれた三人でした👏
またみんなで会いたいね〜

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