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カオスを温ねて新しきを知る😴

お久しぶりのnoteです。

ここ最近で一番カオスだった3ヶ月を、パーソナルコーチのひろのさんに伴走いただいた記録として残してみます。

この旅路は自分の中でも結構な衝撃。
こんなに深くまでいけるのか、という感覚。

この3ヶ月の過ごし方は
1ヶ月間、日常でカオスを泳ぐ(or溺れる)
→ひろのさんとのセッションでそれを見せてもらう
→また次のカオスへ泳ぎにいく🏊‍♀️
みたいな感じ。

程よい息継ぎの場として日常の中で機能していたかもしれません。

セッションの詳細についてはこちらご覧ください🙏






体験セッション:とめるだけムダな根性ちゃん


体験セッション


この頃は自分が休むことをようやく受け入れられそうな時期。


もともと「ちゃんとしなきゃ、きれいにつくらなきゃ」に囚われていた時に
私が囚われているものを手放している佇まいにビビッときたのを覚えている。

進み出せない話をしてるのに、その奥で「どんどん進もう!!」っていう存在(根性ちゃん)が強く滲み出ている。

止めても無駄だねこの子wと二人で認められた時間。


日常でせかせかして何かに追われている日々から抜け出したい感覚もあったけど、ひろのさんの落ち着いた、どっしり感がすごくハマった感覚を覚えている。




Day1:葛藤そのまま、脚色しないぞ



day1


このときはもっとこうあるべき!がどっと押し寄せてきてもみくちゃになっていた時期。

社会貢献への使命感、
自分がめざしているもの、
デザインでやりたいこと、
なんで休職しちゃったのか、
休むことを通して何に気づいたのか、
これまで学んだもの、
新しい環境でやりたいこと、
大切にしていること、

いっぺんにどっと問いが押し寄せてきてぐるぐるしていた。

あとは「ハラから声だしたい」ってこの時ずっと言ってた気がする。


【次のセッションまで噛み締めていた言葉たち👇】

・周りの人は誰かの命を背負っている中で自分だけがそうじゃない。
・自分は社会に対して何をやっていたんだろう。
・凸凹のままで完璧。凸も凹もそう在ることが必要。
・人は生まれながらにして欠けることのない存在。全体性を兼ね備えている。
・なかったことにしたくない

・自分の弱さも含めてこれが自分だと認められた。
・これまで学んだもの:カオスの楽しさ、対話の必要さ、失敗、挫折

・助けてあげるなんて烏滸がましい
・ともに当事者でありたい
・自分が欲しいものを作りたい、あったらいいなと思う場に携わりたい。

・言葉は一度手放したらもうそれはどう届くかはコントロールできないもの。
・言葉に責任を持ちたい。丁寧に、自分の言葉を使いたい。
・その人の言葉はその人にしか出ない。人の言葉を借りない。
・言葉が世界をつくる。言葉で意味が与えられ物語が生まれていく。
・言葉があることで存在を受容できる。なかったことにされない安心。



Day2:もっともっと純度の高いカオスに居たい


day2

自分の過去を振り返りながら社会貢献にもう一度フォーカスして考えてみたくなっていた時期。

幼い頃はひたすらに誰かを助けようとひたむきだったのが、ある時を境に薄まっていくのも感じていた。

再び、何かが立ち現れようとしているのも感じていて、それをひろのさんと見ていった時間。

理由の所在がわからない謎の使命感が紐解かれた気がした時間。

もっといろんなものが織り混ざった中に居たい。これまで自分が否定していたものも認めて含んでいきたい。

私は純度の高いカオスをずっと追っていたのかもしれない。
沈殿(カオス)と上澄み(綺麗な水の中を泳いでた期間)を経て、今それらを攪拌して統合いく(カオス2.0)


そんな感じ。


Day3:動力源でありたい


day3


日常で足を止めるように側で囁いてくる存在。

そんな統合できていなかったシャドウと向き合った時間。

自分がざわつく対象。避けたくてしょうがない存在。なのに静かに見つめていくと、その仮面を剥がした先には自分がいる。
ざわついていたそれそのものが自分だったと気づく。

ゆりもどしの幅が大きくなっている…?

いままでの価値観での「よくみせよう」を手放して行動してきたからこその試練なのか。


統合に近づいている、その先の可能性を感じられる時間。

陰きわまりて陽となる


根性ちゃん(陽)がいなかったらここに来れなかった。

鬱々としたスキルの違和感(シャドウ)がなければその光に気づけなかった

シャドウがあったからこそ根性ちゃんの発揮

シャドウも根性ちゃん(光)もどっちもお互いを照らしてる

スキルを認めないことが自分にとって都合がいいことになっている。
そこに鞭打つシャドウの存在。


隠と陽が統合されて、そこで初めて「どうしたい」が出てくる。


完了を目的にセッションしたわけじゃないのに、自然とこれまで見えてきたいろんなものが集まってきた。

見せてもらったもの、見えたもの。


チケット〜

確かにここにあるのに、私がないものとしていたもの
対話を通してひろのさんが「すでにあるじゃん!」って見せてくれる
このやりとりの繰り返しはなんとも力強く、心強かった。

自分をとりまくカオスはそのまま脚色なしで描かれていた。

ビジュアライズを起点にして二人で共にいる感覚は、言葉のセッションとはまた違っていて、広くて深い感覚。

コーチングってセッションの60分よりも
次のセッションまでの時間の間にぐっと深まるんですよね。

ひろのさんのセッションはセッション後にnotionでめちゃくちゃメモを書き足して内省する。

私の感覚と感情と、ひろのさんの直感とI Messageで出来上がったビジュアライズを眺めてみて、今度は構造化したり解釈も交えて言語化する
みたいな流れを繰り返していた。

そんな旅路の記録でした。


もしタイミングな合えば必要な方に届きますように🙏


ハーゲンダッツ代にします!