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「ポカホンタス」化するのは男も同じ。名誉白人を目指す海外在住日本人が多いわけ

日本のネット界隈では、『※ポカホンタス』という歴史上の実在人物名が、海外生活を送る日本人女性を揶揄する言葉として使われるようになって久しい。使用される場面ごとに、発言者が意図するニュアンスは微妙に異なることは多いが、大抵の場合において一種の女性軽視を含んだ蔑称として用いられるケースが殆どである。

ネット界隈を見る限り、「ポカホンタス」と揶揄される日本人女性の特徴はおおよそ以下の通りだ。

  1. 海外風(白人女性風)のファッションやライフスタイルを好む。(例:スタバのパンプキンラテが好き)

  2. リベラル志向の強さ。

  3. 海外(白人主体の国家)と日本を比較して前者側の一員として後者を批評する。

  4. 外国人のパートナーとデートする。

私は20代の頃に海外かぶれとして海外をプラプラして、今現在も国際結婚を経て北米で暮らしているが、実は上記に当てはまるのは(元)海外在住日本人女性に限った話ではなく、日本人男性にも当てはまるケースがとても多い。

※注意:『ポカホンタス』はディズニー映画のタイトルでもありますが、その描写は歴史修正主義的として批判されています。この記事では便宜的にこの人物名を使用していますが、ネット界隈における蔑称としての表現方法を肯定する意図はありません。(批判的な立場です。)

「ポカホンタス」化した日本人男性の特徴:

海外在住、或いは元在住で「ポカホンタス」化した日本人男性の特徴は以下の通りで、基本的に女性のケースと殆ど差はない。

  1. 海外風(白人男性風)のファッションやライフスタイルを好む。(例:海外銘柄の瓶ビールをライターで開けて飲む)

  2. リベラル志向の強さ。

  3. 海外(白人主体の国家)と日本を比較し、前者側の一員として後者を批評する。

  4. 外国人のパートナーとデートする。

最初に挙げた”海外風(白人男性風)のファッションやライフスタイルを好む”、というのは少しわかりづらいかもしれないが、ラルフローレンの広告に出てくる白人男性をイメージするとわかりやすいかもしれない。

バーバースタイルの短髪にポロシャツと短パンを穿いて、サングラスをシャツの胸元に掛けておくといった出立ちだ。また、筋肉質な体型を目指すなど、視覚的に欧米男性に明確に寄せている。

なお2010年代の終わり頃から、バーバースタイルの髪型が定着し始め、現在では海外志向の有無に関わらずお馴染みの髪型だが、2010年代前半までバーバースタイルは日本では少数派であったため、この髪型を見ただけで海外志向の強い男性だと一目でわかるスタイルだった。

欧米圏における処世術としての名誉白人化戦略

日本人女性にしても日本人男性にしても、一体どうして白人風のファッションに身を包み、リベラルに目覚めて外国人とデートを始めるのだろうか。私の考察は以下の通りになる。

まず第一に、アジア人は欧米圏においてセックスアピールに乏しい空気のような存在としての扱いを受けることが多い。例えば恋愛市場においてどちらも人気があるとは言えないし(男性は特に)、アジア人と友達になってつるんでも「かっこいい」と思われることも殆どない。要するにパートナー獲得チャンスが低く、交友関係にも恵まれない割に悲惨な立場となりがちなのだ。大人になって結婚した後は、モテや友達コミュニティにおける立ち位置などどうでも良くなるが、20代前半までに留学等で海外渡航した際はかなり真剣な問題となってしまう。そんなわけで、ファッションやライフスタイルに白人要素を取り込んで、アジア人っぽさを稀釈させるのだ。

第二に、人種・文化的マイノリティとして欧米圏で生活する以上、リベラル思想の方が自身により多くのメリットを与えてくれるからだ。多数派(白人層)が持つ既得権益を守ったところで自身には何のメリットもないのである。また、留学で欧米圏で生活する場合、周囲の人間の学歴は大卒(見込)かそれ以上になるが、いわゆる欧米圏では、高学歴はリベラル志向である事が多い。自身の地位の向上と、コミュニティ内の暗黙ルールに従うためにリベラル思想に傾倒するのだ。

第三に、外国人のパートナーとデートすることは、友達コミュニティにおいて自身の地位を格段に上げてくれる効果をもたらす。また、同人種のコミュニティに対してのマウントをとるニュアンスも含まれることが多い。

(もちろん外国人とデートする全ての日本人が、トロフィーとして外国人パートナーを利用しているわけではない。とはいえ自身の若い頃を振り返ってみると、20代前半までの恋愛では、正直なところマウント目的で付き合っている人が多かった印象は否定できない。)

このように、ファッションやライフスタイルに白人要素を加えて、リベラルに目覚め、外国人のパートナーとデートすることは、欧米生活を快適に送るための生存戦略となるのだ。

「リベラル志向」と「名誉白人戦略」の根本的な矛盾

ところが、こうした生存戦略の内訳を見てみると、互いに相反する要素が存在している。マジョリティの白人の猿真似をしたり、名誉白人として白人サイドに付いて、彼らから歓心を買う為に出身コミュニティを「白人の手によって正しい方向に導く」態度で批判することは、かつての植民地主義や白人至上主義を彷彿とさせるものだ。いずれも「リベラル的な発想」に沿って考えてみればあり得ないことで、大きな矛盾を抱えてしまうことになる。

実際に、「出羽守」とネットで批判される者の中には、「名誉白人戦略」をとる者が少なくない。批判する側が、彼らの自己矛盾や浅はかさやに明確に気づいているか否かは別としてもだ。

女性だけが叩かれる不条理

さて、男性の場合であれば「ラルフローレン」化する傾向があることを説明した。こちらは名誉白人化した日本人女性以上に視覚的に分かりやすい特徴を持っているから、女性よりも揶揄する対象としてネタにされそうなものだが、実際にネット世界を見渡してみると、こうした男性を攻撃するための特定の単語は出てこない。

要するに、男女ともに同様の性質を持っているにも関わらず、女性のみが叩かれているのだ。「ラルフローレン」化した男性は、攻撃の対象になるどころか、羨望の眼差しになることすらある。

例えば、外国人女性とデートしているとなると、周囲の人間はそれだけでその男性を「強者男性」として畏敬の念を向けてしまう。実際に今振り返ってみると、20代の頃に都内で外国人の女性とデートなどで一緒に行動していた際は、日本人女性とデートする場合と比べて周囲の扱いが良くなった記憶がある。

ところが女性が同じことをすると途端に叩かれてしまうのは、女性のことを心のどこかでコミュニティの所有物とする、女性蔑視の考えが社会に蔓延っているからではないだろうか。(外国人と付き合う男性が評価されるのは、他陣営の女性を自陣営へ連れて来て、内部の「共有財産」を増やしたと社会が認識しているのかもしれない。これは非常に恐ろしいことだ。)

名誉白人を拗らすアジア人を救った韓流ブーム

僕は先ほど、「アジア人は欧米圏においてセックスアピールに乏しい存在」と書いたが、厳密に言えばこうした状況は完全に変わりつつある。

世界的な韓流ブームの影響で、アジア人のイメージは一変した。中性的なセックスアピールに富んだ存在として、既存の美意識(例えば男性のマッチョ主義など)と一線を画す価値観を欧米社会にもたらした。アメリカ国内の都市部を見てみると、Z世代やそれよりほんの少し上の年齢層の間では、アジア人と交際したり、アジア人の友達と一緒に寿司や火鍋を食べ、タピオカを飲むことはクールなことに変わったようだ。

アジア人はこれまで他のマイノリティとは異なり、明確な悪意のある暴力に晒されることは比較的少ない一方で、20代までのデートシーンや交友関係で空気として扱われる傾向が強かった。けれども韓流ブームやTiktokの影響によって、これまでの空気感は一変した。

アジア系男性と他人種のカップル系インフルエンサーはそれだけでバズりやすく、東アジアのファッションはオシャレの一つとして認知されるようになった。

実際に今の20代前半の日本人の子達は、海外に出ても日本にいた頃とほとんど同じ髪型をしているし、現地で生まれ育ったアジア系ルーツの若者を見てみると、自分たち本来の美しさを損なわせないファッションをしている。白人のモノマネをする時代は終焉したのだ。

岐路に立たされた、名誉白人戦略を選んだ日本人男女たち

はじめにことわっておくと、本稿で述べた「名誉白人戦略」をとった日本人男女たちに対して批判的な感情というよりかは、むしろ同情心のような感情の方が大きい。

いわゆるポリティカルコレクトネスという考え方が流行る前に、欧米圏での生活を経験したから、当時アジア出身のアジア人がどのように扱われていたか痛いように知っている。僕自身も最初は空気のように扱われて、どのようにサバイブするべきかひどく悩んだ覚えがある。繰り返すようだが、20代前半の若者にとって、恋愛市場や友人関係での劣位は死活問題だったのだから。(結果的に僕は名誉白人戦略以外の、独自路線を進んで生き残ったが。)

あそこから抜け出す為には「名誉白人戦略」が手っ取り早いのは事実だったし、身の回りに参考例が沢山あったからコピーもしやすかった。

ポリコレ以前の時代の、「白人に右倣え」といった暗黙の圧力が西洋社会で生活する人種・文化的マイノリティの人たちに科せられていた頃の空気感を知っている。

「名誉白人戦略」をとった日本人たちは、当時の西洋社会圏における無言のプレッシャーの被害者だと言ってもいいかもしれない。

現在はどうだろうか。ポリコレ全盛期を経て、兎にも角にも少数派のアジア人たちは生きやすくなった。言い換えれば、人種的・文化的アイデンティの書き換えを強制される機会は格段に少なくなったのだ。

けれども、アイデンティティを既に書き換えてしまった人たちは、一体どうなるのだろうか。いくら白人のモノマネをしたところで彼らにはなれないし、一度捨てた文化や習慣を再び取り戻すのは至難の業だ。

今後、仮に「政治的な正しさ」がより社会的に要求される状況になった場合、彼らはwhite supremacyの信奉者として数えられ、存在自体がキャンセル対象になってしまう可能性だってある。

20代の頃に「ポカホンタス」や「ラルフローレン」になる道を選んだ日本人たちは、周囲にいた誰かをコピーすればそれで良かった。

しかしこれからは、生存戦略の立て直しが求められることだろう。他人の模倣ではなく、自分自身で試行錯誤し、現代の価値観に即した処世術を見つけ出す時代が到来しているのだ。


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