白人のいないアメリカ生活。米国社会に馴染むとは何なのか?
何かのタイミングで、自分の妻がアメリカ人であることを誰かに話す時がある。それは例えば新しく知り合った人と世間話をしている時だったり、あるいは昔の知り合いと偶然出会って、これまでの身の上話をしているときだ。
僕がアメリカ人と国際結婚をしていることを口にすると、大抵の場合、話し相手の国籍に関わらず、彼らは僕の妻が白人であることを想像する。僕の妻がどの人種であるかを直接は聞いてこないものの、基本的に白人であることを前提にして僕の話を聞くといった具合だ。
けれども僕の妻はいわゆる白人ではない。彼女はカリブ系のルーツを持ち、アメリカ国内でバイリンガル環境の家庭で育った女性だ。当然のことながら、義理の家族や親戚との交流の中で、ステレオタイプなアメリカ像、すなわち白人世帯の文化が顔を出すことはあまりない。
例えば僕の義理の父は、燃費の悪い大きなアメ車を乗り回すことはしないし、野球の話を振ってもルールすら大して知らないといった有様だ。(野球は中年の白人男性が好きなスポーツの典型と考えられている。)
また、義理の祖母は、老人ホームに送り込まれることなく、親戚の元で暮らしている。シンプソンズで描かれるような、年老いた親を老人ホームに入れてそれきりロクに連絡も取らないという習慣も、白人世帯以外ではそこまで一般的ではないのだ。
そして妻の家族や親戚はもれなく全員、家の中では靴を脱いで生活している。(土足で生活するのも、白人家庭へ対するステレオタイプの一つだ。)
これらに加えて、我々夫婦が現在生活しているエリアは、ワシントンDCに近い立地で、文化的にも人種的にも多様性に富んでいる。白人主体の地域でありがちな、ピックアップトラックが爆走する姿を見る機会は少なく、また車をいくら走らせてみても、銃ショップの広告や保守系協会の広告が目に入ることはないのだ。
このように、僕のアメリカ生活は基本的に白人文化圏の外で営まれている。
もちろん、アメリカで生活している以上、圧倒的なマジョリティである白人と一切関わりがないわけではない。白人の友人はもちろんいるし、多様性のあるエリアで生活をしていると言っても、統計を見れば結局は白人住民が一番の多数派である。実際に、ワシントンポストのプリント版を毎朝読んでいる隣人は白人男性で、他のご近所さんも白人の方が多い。
白人社会の存在感の大きさは、別の側面においても確認することができる。アメリカの移民家庭で生まれ育った人々は、誰でも多かれ少なかれ、自分の親世代の持つ文化や習慣を、白人社会に受け入れられる部分のみに限定して受け継いだり、あるいは白人社会が彼らに対して抱くステレオタイプに迎合する形で、自分たちのアイデンティを書き換えて生きている。この傾向はアメリカで生まれ育った子供世代のみならず、成人後に移民としてやって来た親世代にも見てとれる。
特に東アジア系は、白人中流階級へ同化しようとする傾向が強い。例えば、アメリカ生活が長い日本人は、男女を問わず身だしなみが日本に住む日本人とは異なる場合が多い。どういうことかといえば、白人がしそうな髪型やファッション、化粧を真似るといったものである。ライフスタイルも同様で、少し無理をしながら生活習慣を変化させているケースが多い。また残念なことに、自分よりも「同化」できていない移民に対して「アメリカ社会に馴染んでいない」などとマウント気味の態度をとる人すらいる。
社会に馴染むといえば聞こえがいいが、実際の所は、自身の文化的・人種的ルーツをどこかしら恥じるような態度の下に、特定の人種グループへの憧れと劣等感を抱きながら猿真似をしているのが現状である。これはまるで上京してきた若者が、必死になって「方言」を直そうとしたり、都会的なライフスタイルを送ろうと悪戦苦闘しているのと良く似ていて、ある種の空虚さを大いに含んでいる。
さて、僕はいったいどのようにして振る舞い、社会に馴染むべきなのだろうか?無論、一部の日本人にありがちな「名誉白人」を目指すつもりは全くないが、かといってアメリカにおける白人社会のプレゼンスを一切無視して生活することも難しい。
実際、東アジア系以外の人種グループの間には、白人文化へ迎合することに対してどことない反発心を抱く傾向がみられるが、現実には白人文化が米国社会で広く通じる「文化コード」になっている側面も強いため、知らず知らずのうちに彼らのコードに従っていたり、あるいは職場で不利な評価を受けないために、否応なしに従わざるを得ない場面が多く出てくる。(これは、政治的正しさという考えが広く共有された現在でも同様だ。)
はじめに述べたように、僕はアメリカ生活の中で、基本的に白人が中心人物として登場する場面は比較的少ない方だと思う。けれども、このような「白人のいないアメリカ生活」においても、彼らのプレゼンスを無視することは非常に難しい。これこそがアメリカ社会でしばしば叫ばれる「白人特権」の実情ではないだろうか。
自身の社会との関わり方をひとつ考えるだけでも、人種間の緊張や不均等といった問題に出くわしてしまう。これがアメリカ現代社会の難しさであり、複雑さの表れなのだ。