いかに大きな悲哀(かなしみ)があとでやって来てもいい、荒っぽい大きな歓楽(よろこび)が欲しい-I wouldn't care how a great sadness comes later, if I could get a great rough joy.-
ときどきどうしようもなく渇望してしまう。
そして先日のカウンセリングのテーマでもあった。
この正体は何なのか。内海健氏著のある本の記述を思い出す。
平凡な日常からいかにして生(せい)の実感を得るか。
波を上手く乗りこなしたいと思う一方で、大きな波にさらわれてしまいたいと強く願う。そうでないと窒息してしまう。そんな気がする。
そして、大きな悲哀(かなしみ)がやってきたあとに書く言葉たちは、いつも切実で、切迫感があって、嘘っぽさがまるでなくて、だから好きだった。
Sometimes I crave it strongly.
And it was the theme on a counseling session the other day.
Why do I crave it so much? I remembered a description in a book written by Takeshi Utsumi.
How can I feel alive in the mundane? While I want to ride the waves well, I also strongly desire to be snatched up by big waves. Otherwise, I would be suffocating.
And the words I wrote after deep sadness came were always serious, unavoidable, and real, that’s why I liked them.
タイトルの引用
太宰治
人間失格
内海健
精神科医からのメッセージ
うつ病新時代
双極Ⅱ型障害という病
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