よんのばいすう5-16 2021.5.16
立夏~受難の夏かはたまた
5月16日、近畿地方に「梅雨」が発表されました。観測史上もっとも早いんだそうです。その通り、ずっと雨模様。五月晴れはいったいどこに行ってしまったんでしょうか。なんでもインド洋上の大気が平年よりも不安定になり、強い上昇気流が偏西風を押し上げて、日本付近で太平洋高気圧が西に張り出し、梅雨前線の北上も早まってしまったんだそう。ただでさえ、インドの深刻なコロナ禍が日本にも波及しそうなのに、低気圧まで連れてきてしまったとは、今年は何とも厄介な年回りです。この梅雨、早く始まったからといって早く終わるというわけでもないようで、たとえ早く終わっても夏が長いとなると、本当に大変な暑さも予想されそう。受難はいろいろな意味でまだまだ終わりそうにありませんね。
とはいえ、二十四節気では『立夏』、七十二候では5月16日より「竹笋生(たけのこ しょうず)」に入りました。タケノコが伸びる頃という意味だそうです。いわゆるお料理でいただく筍料理の旬というと何となくもっと春先のイメージですが、それは孟宗竹で、5月になってニョキニョキと土から顔を出すのは、真竹という種類だと考えられています。「雨後の竹の子」という諺では「雨が降るとタケノコもどんどん伸びる」成長の比喩に使われますが、今年の真竹は一体どんだけ伸びるんでしょうか。出鼻をくじかれて土から出るタイミングもなくしてしまわければいいのですが。
例によって、二十四節気を音楽にしているRobinさんのyoutubeからチョイスしたのは…
というわけで…
ヨーコ的掌小説『舌の記憶』
京都だけど京都市ではない、でも京都市には近く、かつて都もあったという変なプライドはあるけれど、実際には自慢になるものが大してない。ベッドタウンとして大阪への通勤圏ではあり、今では阪急の通勤特急も停まっているけれど、毎日通うにはやっぱり梅田までちょっと遠い。そんな街で育った私。とりわけ、竹藪が点在し、兼業農家の子どもたちが同級生というような街はずれの小さなコミュニティで生活していると、朝掘り筍は春の風物詩で、母がよく近所で分けてもらった大きな筍を深い鍋に米ぬかを入れて長々とゆでていた姿が目に浮かぶ。米ぬかの匂いはどうにも苦手だったけれど、灰汁の抜けた筍はそれはそれは美味しくて、母が作る筍ご飯が大好きだった。
同じ筍でも、駅前の洋菓子店『アルモンド』の竹の子パイだけはどうしても許せなかった。甘く煮た筍をパイ生地に忍ばせて焼き上げたお菓子で、店オリジナルの名物お菓子として看板を掲げていたけれど、洋菓子のパイに筍の組み合わせは、いかにも何もない街の無理やり感を露呈しているようで、子ども心に恥ずかしかった。もっとオシャレなネーミングや素材はないものか。あるいは京都なら京都らしくはんなりとした形や味は…。いつだってこの街は中途半端なのだ。当時、JR(昔はまだ国鉄と言っていたけれど)の駅前通りには『アルモンド』しかなかったが、駅から200mほど歩いたところにお店があったため、父が務め帰りに買ってきてくれた記憶はなく、もっぱら法事のお供え物として買うぐらい。その抹香臭さとも相まって、長らく好んで食べたいとは思えず、いつしか記憶からも消えていた。
それなのに、今は無性にあの竹の子パイが恋しい。一度は記憶の中で抹殺したはずなのに、ある日、友達が買ってきてくれた同じ「竹の子パイ」という名前のお菓子を食べた時、一気に歳月がフラッシュバックした。「アルモンド?」と私はある種の驚きと郷愁が混ざった感情を意図的に抑えながら、さらっと尋ねた。「違うよ。アルモンドはもうお店がないやん。アルモンドはないモンド、な~んちゃって」と冗談めかして友達は答える。「うっそ~」と言いながら、いや嘘なんかではないだろうという気持ちもはっきりとあった。あのアルモンドが今もあるとは考えられない。駅名も変わり、再開発が進んだ駅前から姿を消したって不思議ではなかった。それぐらい、私の子ども時代なんてはるか遠い過去なのだから。
別の店の竹の子パイを食べて懐かしくて、やっぱりアルモンドの竹の子パイは美味しかったんだと気づかされるなんて、舌の記憶恐るべし。今思えば画期的な挑戦だった。竹の子をリンゴに見立てていたのだ。確かに歯ごたえは似ていた。それに甘さもコロ加減。パイ生地もほどよくしっとりサクッとしていた。私も、なぜアップルパイの親戚だぐらいに認めてあげなかったのだろう。お店は間口も奥行きも決して大きくはなかった。今なら当たり前のイートインコーナーもなく、ひたすら頑固に竹の子パイにこだわり続けた結果、時代の波に押され、どんどん寂れた雰囲気をガラス越しに醸し出していた。よけい客足は遠のく。お店を改装して新商品を売り出すなどという体力も残ってはいなかったのだろう。別の店の竹の子パイは、『アルモンド』の味を受け継いだのだろうか。でも、できることなら、竹の子パイはやっぱりアルモンドでなければいけなかった。たとえ少々ダサくとも、抹香臭くとも、おらが町の名物スィーツでいてほしかった。気づくのが遅すぎた。
父も母ももういない。実家も母の三回忌を済ませた後、売却した。跡地には2軒の真新しい家が建っていて、私にはあの街に帰る家は、もうない。旬の筍を食べる機会もめっきりなくなった。だからこそ、今でも無性に食べたくなる。朝掘り筍で炊いてくれた筍ご飯とアルモンドの竹の子パイを。