器用な孤独
『ことばを紡ぐための哲学:東大駒場・現代思想講義』
中島隆博・石井剛編著
白水社さんのwebマガジンを読んでいると、中島隆博さんと星野太さんが、「孤独」について話しているのに出会った。初出は上記の書籍である。
本のテーマに沿った文脈もあるのだが、お二人の意見は「孤独は確保すべきもの」という点で、足並みが揃っているようだ。
ここでいう「孤独とは何ぞや」と思われた方は、是非読んでほしい。
ペシミスティックな匂いから少し、遠のいたところにある「孤独」の捉え方がある。
ただ個人的な意見としては、孤独というのは、そもそも自分で選んで至る状態ではなく、ほぼ個人の運命のようなものだと認識している。少なくとも「一人の時間」という言葉で、置き換えられるようなものではない。
裏を返せば、いくら望んでも、一生孤独を知ることができない人もいるのではと。いや、どうだろうか。人生のどこかで、必ず人は孤独を経験する。ずっとじゃなくとも。
そういう避けても逃れられないようなものを、いかに計画的に配置していくか(?)が、昨今の忙しすぎる通信事情において、大事なことらしい。
「器用」か「不器用」か、どちらの言葉が「孤独」のイメージに近いかと訊かれれば、今も後者の方だろうと答える。
人が集えば易しいことも、一人で行うには難しい。
時間も空間も感情も、せめて二人なら、近く充足を知るかもしれないが、独りで満たそうとするには、大変な知恵と経験が要る。人生をかけて勝ち得るべきは、今も昔も、孤独を生きる覚悟なのだろうか。
もっと器用に生きたいものである。