写真展『鉄道憧憬』-天童市美術館-(2)
鉄道への憧れ
私の母は駅売店(KIOSK)に勤めており、
少年時代はしばしば天童駅(奥羽本線)に遊びに行きました。
在来線特急だった「つばさ」の行き先に<上野>や<秋田>の地名を見ては、
「線路は何処に続いているのだろう?乗ってみたいな」と思を巡らせました。
あれが鉄道への憧れ=「鉄道憧憬」を最初に抱いた瞬間だったのかも知れません。
高校時代は山形の高校まで「汽車通学」の毎日。
今のようなスマートな電車ではありません。
当時はチョコレート色や青色の客車で、エアコンはなく夏は窓全開。
出入口の扉は手動で開閉し、走行中も開けっ放し。
戦前から戦後すぐに製造された車両でしたが、国鉄は古い車両を大事に使用していました。
その頃から「青春18きっぷ」や「周遊券」で旅に出かけています。
日本の何処に行っても、地方では上記のような古い車両がほとんど。
座席車ばかりの夜行列車も多くあり、宿代を浮かすために何泊も夜通し列車に揺られました。
決して快適とはいえない旅でしたが、昼夜を徹して走る鉄道は頼もしかった。列車は何両もの車両を繋いで長く、利用者は今よりもずっと多くて活気がありました。
鉄道への憧れは、旅を重ねるごとに膨らんでゆきました。