「美味しい」には「大切な思い出」が詰まっている。
※この記事は2021年1月22日に書いたものを修正して、2024年10月22日に再投稿したものです。
「カステラが食べたい。」
かなり前の話だが、病床で会話もままならない状況下、か細い声で祖母は言った。「何か食べたいもの、ある?」と母だったか、私だったかが問いかけたときに返ってきた言葉だった。当時は他にも美味しいスイーツはあるけど、そうかあ。カステラなのかあ。とたいして深くは思わなかった。
けど、今ならなんとなく分かる。今となっては推測でしかないが、祖母にとってカステラは、大切な、幸せな思い出でもあったのだろう。人生の終わりを迎えようとしている時にその思い出を味わいたかったのかもしれない。
「おめでとうございます♡」
今日は私の42回目の誕生日。大好きな場所でランチがしたいと思い、お気に入りのベーカリーカフェへ。
パンを買って、カフェでランチを堪能して、ああ、やっぱり美味しいし、この空間好きだなあと豊かな気持ちで、もう少しこの空間を味わいたくて本を読んでいた。その時、先の言葉と共にお店のオーナーさんがそっと差し出してくれたのが、ソフトクリームだった。
彼女は私の誕生日を知っていてくれていた。私は一言も誕生日を言った覚えはない。SNSでも繋がっているのでそこで気がついてくれたのかもしれない。メンバーズカードのリストで気がついてくれたのかもしれない。まるでケーキのようにトッピングされた幸せスイーツを見て、オーナーさんの想いに触れて、私の心は一気に温まった。なんて嬉しいことだろう。なんてありがたいことだろう。このお店が醸し出している雰囲気はオーナーさんそのものだ。感謝で胸がいっぱいになった。
一口ずつ口に運び、あぁ、やっぱり美味しいなあ、としみじみ思った。厳選され、かつシンプルに作り上げたこの濃厚なミルク味のソフトクリームはいつ食べても美味しい。
でも、その時私は気がついた。この美味しさは、ただの「美味しい」だけではない。私の「思い出」も味わっていることを。
私にとって実は、このソフトクリームはただのソフトクリームではない。娘との思い出がぎゅっと詰まった、それはそれは大切な時間もこの中に入っているのだ。
娘がまだ幼稚園に入る前、別の保育園で一時保育として預かっていただいていた。娘は環境の変化に敏感で、「保育園に行く」という行為が彼女にとってはストレスで、一大事だった。本当は24時間ママの側にいたいと思っているのも私は分かっていた。でも、私は絶対的に1人の時間が必要な繊細な気質を持っていて、24時間一緒にい続けることは私の精神衛生上よろしくなかった。そのため仕事をすることで自分の時間を作り、その分限られた娘との時間を濃厚に、豊かに過ごすことを決めていた。
当時2歳の娘も、そんな私を知ってか知らずか、2歳児ながらも自分の気持ちに折り合いをつけて、毎朝保育園で涙をためながらも私にバイバイ、と手を振っていた。保育園の先生によると、園内ではめちゃめちゃ「おとなしく、いい子」でなんでも自分でこなしていたという。(家ではむしろ正反対で、私が翻弄されているのだが(苦笑))。多分、本人なりに一生懸命頑張っていたんだと思う。
いつからだったか、毎週金曜日保育園の帰りに例のベーカリーカフェに寄るようになった。1週間娘が毎日頑張ったこと、そして私も仕事を頑張ったことを労うのが目的だ。「今週も頑張ったね。お疲れさま♡」と乾杯するようになった。2歳児とアラフォーの女子会である。
その乾杯にいつも頼んでいたのが、例のソフトクリームだった。暑い日も。寒い日も。毎週金曜日にソフトクリームで乾杯する。金曜の夕方、少しずつ薄暗くなっていく店内で。閉店間際なのでお客さんもあまりおらず、人混みが苦手な娘も安心して色んなお話をしてくれた。
食べた後は必ずお店にある絵本「はらぺこあおむし」を一緒に読み、「はらぺこあおむし」の歌を一緒に歌う。最初のうちは私がリードして読んでいたが、いつの間にか読み手は娘になっており、とはいえ文字が読めないので、何となくの雰囲気で読み、歌う。そして食べ終えた食器をカウンターに戻し、2人で美味しかったね、と笑いながら帰路につく。1週間の疲れはいつの間にかふっとんでいた。
今はもう娘は幼稚園に嬉々として通っており、帰りにソフトクリームで乾杯する習慣はなくなってしまった。あの習慣は彼女の成長と共に2歳のほんの一時の思い出となった。もう決して戻ることはない。でも優しくて温かい、幸せの思い出。
今日、このソフトクリームを口にしながら、私は当時の優しくて温かい思い出を思い出していた。何故だか感極まってしまった。自分自身びっくりした。今もこれを書いていて涙が出てくる。頭で考える隙間もなく、目頭が熱くなってしまう。きっと、それが全てを物語っている。この思い出は私の大切な大切な一生ものの時間なのだ。
週末になると、ここのソフトクリーム食べたくなって夫を巻き込んで行くこともよくあるのだが、そうか、私はこの思い出を味わいに行きたかったのか。とこれまた今日、初めて気がついた。
祖母のカステラにも、こんな思い出があったのかな、と思う。私はきっと死ぬ間際「何が食べたい?」と聞かれたら「いちあんのソフトクリーム」と答えると思う。その味で、あの幸せな時間を味わって、幸せな気持ちで死を迎えたいと思うから。