L:11 茶色のお菓子
2011.11.13
自分の意思で駄菓子を買い始めてから35年以上は経っている。幼い頃は母と一緒に買い物に行き、50円以内ならいいよということで、50円の中で最大の喜びが得られるお菓子を必死に選んでいた気がする。
そのうち、自分で使えるお金が少しずつ増えていく中で、スーパーに行ってはお菓子の棚とにらめっこし、どれを買おうかいつも真剣に考えていた。
遠足の300円以内のお菓子はバランスよく甘いお菓子、辛いお菓子を数種類均等に割り振るタイプだった。友だちの中に、300円近くするおまけつきのお菓子に予算を全振りする子がいて、肝が座ったやつもいるものだと子どもながらに感心した。
お店の規模にもよるが、スーパーのお菓子売り場というのはだいたい、ジャンル分けされていて
チョコレート系
クッキー系
スナック系
キャンディ系
駄菓子系(チロルチョコや笛ラムネ等)
みたいな感じだ。私はだいたい、これらの棚の前を行ったり来たりしながらお菓子を買ってきた。
実際は他にもお菓子の棚がある。
せんべい系
豆菓子や和駄菓子系
私の中では上の2つはひとまとまりに「茶色のお菓子」と名付けて、素通りする棚だ。なんとなく他のお菓子の棚に比べて、茶色っぽいお菓子が並んでいるイメージからそう呼んでいる。小さい頃から、誰がこんなお菓子を買うのだろうかと(せんべいは好きだが)思っていた。
お菓子というのは、買って、食べて気分が盛り上がらなきゃいけないものだ。砂糖をきらきらの幸せに変換するのがお菓子なのだ(笑)だからパッケージも、おいしそうな写真、鮮やかな色のものが多い。そういうものは手に取られやすいのだと思う。
それに比べて、「茶色のお菓子」のパッケージを見ると、まず、パッケージが無色透明なものが多い。つまり、中が見えているのだ。わくわくがない。商品名も黒もしく彩度の低い色で行書、ひらがなで書かれていて、地味なのだ。
それなのに、どこの店に行っても「茶色のお菓子」の棚は存在する。こんなお菓子に棚を割くなら、もっと新商品でも並べて欲しい。そう思い続けて30数年は過ごしてきた。
先日、スーパーから帰ってきて、いつものようにおやつでも食べようと半ば無意識にインスタントコーヒーをいれ、お菓子を準備して、机まで運んで、さあ食べようかとお菓子に目をやって、驚いた。
これは、茶色のお菓子たちではないか!
誰かが買ってきたお菓子ではない。今しがた私が選んで、かごに入れて買ってきたお菓子だ。誰がこんなものを買うんだと言っていたお菓子を自分が買っていたのだ。
ミックスゼリーは色こそカラフルだが、これが置いてあるのは茶色のお菓子の棚だ。私の記憶が正しければ、かなり昔からあるお菓子だと思う。
包装にフルーツゼリーと書いてあるから果汁が入ってるのかと思いきや、いちご以外は無果汁だ。果汁グミの真逆。
ちいさか黒ぼうも、長さはいろいろあるが、これも昔からあるお菓子だ。なんなら食べたことだってある。
思い出した。そういえば、小さい頃、祖父母の家に行くと孫の気を引くためにお菓子が買ってあって、食前食後に隙あれば「お菓子食べる?」とおばあちゃんがよく聞いてくれたものだった。母は嫌がっていた(笑)
そんなおばあちゃんが出してくるお菓子というのがだいたい、「茶色のお菓子」だったのだ。試しに食べてみても、ただただ甘く、気持ち悪くなってしまうのだ。だから、私はむげに「そんなのいらない」と言っていた記憶がある。その中に、黒ぼうはあった。
あれから30年以上たち、気づけば自分で茶色のお菓子を買っていた。買っときながら言うのもなんだが、別に特段おいしいお菓子というわけではない。
先ほど、「砂糖をきらきらの幸せに変換するのがお菓子」だと書いたが、黒ぼうはきらきらも変換もしていない。「黒糖を棒に染み込ませただけだ。フルーツゼリーも水飴、寒天、着色料、香料でほぼ砂糖の塊だ。
だけど、食べるとほっとする。これが、コーヒー、紅茶、ほうじ茶、何にでも合う。幸せになると言うよりほっとする。砂糖が体に染み込むの直に感じられるのだ(笑)←病的!?
今時のお菓子のように何か強烈な個性を打ち出すわけでもなく、肩肘張ることなく「甘い」ですよと。何か小手先で低カロリーや健康をうたうわけでもなく「砂糖」ですよと。奇をてらわない正直で素朴なお菓子。それが「茶色のお菓子」なのだ。
大人になり、わさびの意味がわかった。ミョウガやパクチーもわかりだした。そして、今、茶色のお菓子も理解した。スーパーに茶色のお菓子の棚があり続ける理由も今ならわかる。今後、私はお菓子売り場の棚全部を巡回することになるだろう。