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Y:102 「戦い」のメタファーを更新してみる

2025.2.2

どちらかと言えば、戦いを避けたいタイプの人間なのだけど、人生の多くの部分が「戦い(戦争)」のメタファー(隠喩)で表現されてしまう。

例えば、受験は受験戦争、ビジネスでは戦略を立てるといった表現がある。日常でも、朝は時間との戦い、ウイルスとの戦いといった言葉を無意識に使っている。
私たちは、何かと戦わない日はないんじゃないかというくらい、戦っている。

「戦い」のメタファーには勝ち負けが必ずついてくる。

  • 合格=勝ち、不合格=負け

  • 間に合えば=勝ち、遅れたら=負け

  • 回復すれば=勝ち、病気(死)=負け


こっちが意図しなくても、基本的には、この形にはめこまれてしまう。
「勝ち」は良いことで、「負け」は悪いことという前提になる。

負けにはネガティブがつきまとう。負けるために戦うことは、ほとんどない。だから私たちは「負けるが勝ち」「負けから学ぶ」といった言葉で、負けたことを正当化しようとする。

戦いのメタファーで勝ち負けの二分法に持ち込むのは、便利で、短期的な動機づけに効果的だとは思う。何より、わかりやすい。勝つと気持ちが良いし、達成感もある。

ただ、違和感もある。多くのことを「戦い」と見立てることで、何か見落としや切り落とす部分があるような気がする。それが、心的には不健康なことじゃないかと近頃、考えるようになった。

言語学者のジョージ・レイコフとマーク・ジョンソンの『レトリックと人生(Metaphors We LIve By)』を読んでみると初っ端から

ARGUMENT IS WAR(議論は戦争である)

『レトリックと人生』p.4

が出てきて、「議論」には優勢、劣勢があり、時には戦略を立て、相手を説き伏せるといった部分が、言葉の戦闘であり、このようなメタファーが理解されると書かれている。

ただ、レイコフはメタファーに関して次のようにも言っている。

メタファーから成る概念は、ある概念のある側面(たとえば、議論の持つ戦闘的側面)に、われわれの注意を集中させてしまうことによって、そのメタファーと一致しない他の側面に我々の注意が向かないようにしてしまうのである。

前掲書p.12

これ(私による太字部)、大事だと思う。
つまり、「戦い」のメタファーは、勝ち負けに集中してしまう。でも実際は、勝ち負け以外の、違う捉え方、解釈ができるんじゃないかと。

私の母は、私が30歳の時に、1年ほど”闘病”して亡くなった。語弊を恐れずに言えば、母は病気と戦ったようには見えなかった。もちろん、治りたいという気持ちはあったと思うし、自分の未来を想像していたと思う。ただ、その姿は「戦う」というほどの強さではなかった。緩やかに受け入れていく、という表現の方が、合っている気がする。そして、私はそのことを全く悪いこととも思わないし、むしろ、病との向き合い方として違う視点を与えてくれた気がしている。

というのも、世間には「病に打ち勝つ」というストーリーが多く、期待されている気がして、少々重く感じることがあったからだ。
有名人の闘病を見て励まされる人がたくさんいると思うし、それを否定するつもりは全くない。ただ、みんながみんな、「戦う」というのもよくよく考えると偏っていないのかなと。

よくわかりやすい説明で、白血球が病原体を攻撃するアニメーションがあったりする。それは、説明としてはしっくりくるんだけど、攻撃とか撃退という表現は、言い方を変えれば、白血球が病原体を排除するとか、ウイルスの侵入に応答している、体内の均衡を維持しようとしているというような表現もできると思う。

たかが言葉の問題なのだけど、「勝つ」「負ける」というのは、グラデーションの表現は苦手だと思うし、善悪に結びつきやすい。短期的な視点に偏りがちだ。これは、直感的に受け入れやすくはあるとは思う。

しかし、実際は勝つ負けるの軸だけではない、「体内の雑草を取り除いて、きれいにしている」「体の季節が移り変わりに合わせ、衣替えが必要だ」「古くなった体をリフォームしている」という表現もできる。

「庭の手入れ(植物)」「季節」「整備(機械)」みたいな「勝負」ではなく、「維持」「調整」のような視点から、過程や結果の捉え方を変えていくことができるかもしれない。

確かに上に書いたような雑草の表現、季節の表現は無理矢理に感じるだろう。それぐらい「戦い」のメタファーが浸透し過ぎているからだと思う。

人生もよく「勝ち負け」で語られることが多い。ただ、それとは別の語り口がもっとあってもいいし、そういうメタファーで捉えるとけっこう人生の見方が変わってくるんじゃないかと思う。

『レトリックと人生』の中にも出てくる「旅」や「道」は古典的で、汎用性が高いと思うし、「料理」とか「植物」も勝ち負けから少し距離をおいた表現だと思う。

とは言え、「戦い」のメタファーの存在は強敵で、これに打ち勝つのはなかなか難しい。どのように再整備しようか考える。新しいメタファーを耕していきたい。

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駄々こね太/ Essayist
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