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L:21 小さな八百屋とバナナの価格

2023.2.5

家の近くに賑やかな商店街がある。チェーン店もあれば個人商店もあり、日々、老若男女が歩いている。その中に気になっていた八百屋があった。

その八百屋は古くからあるような感じで、店のスペースは4畳半くらいだと思う。小さなお店だ。サザエさんに出てくるようなタイプの八百屋で客は店の中に入ることはできない。商品は店先に並んでいるものと少し奥にいる店主の周りにあるぐらいだ。

私はその八百屋の前をよく通るのだが、正直、よく商売が成り立っているなと思っていた。というのも商店街には、地域の安売りで人気のある中規模の八百屋が複数あるし、スーパーも複数ある。

この小さな八百屋、お世辞にも品揃えが豊富とは言えない。珍しい京野菜が置いてあるみたいな感じでもなく、バナナ、りんご、きゅうり、なすといった普通の野菜と果物が数点ずつ置いてあるだけだ。だから、選ぶこともあまりできない。店主のおじいさんも、「いらっしゃい!いらっしゃい!」みたいな威勢のよい感じでもなく、店の奥にちょこんと座っているような感じだ。今時の電子マネーも使えないようだし、私は一度もこのお店で買おうと思ったことはなく、いつも別のお店で野菜・果物を買っていた。


先日、毎朝食べているバナナとさつまいもだけを買いにいつもの中規模の八百屋に行ったら、バナナは既に売り切れていた。しょうがないから、さつまいもだけ買おうとレジを見たら、軽く15分は待ちそうな感じでレジ待ちの客が並んでいた。その店は通路が狭く、基本、一方通行な感じなのだが、さつまいもだけ買うのに15分も待ってられないなと、人混みを逆走し、さつまいもを元に戻して何とか店を出た。

そして別のスーパーに向かいながら、小さな八百屋さんの前を通った時に、カートを持ったおばあさんがその八百屋で買い物をしていた。私は珍しいなぁと思いながらその前を通り過ぎて、大型スーパーに向かった。

スーパーにはバナナがたくさん置いてあった。ふと横を見るとワゴンがあった。そこには賞味期限が近いとか、傷んでいて割引されている商品が置いてあった。そこにバナナも置いてあった。

定価で売られているバナナは少し青かったり、これから熟す感じのものだったが、ワゴンに置いてあるものは、既に熟していて黄色というより全体的に茶や黒の部分が目立っていた。

私は毎日、バナナを食べている。それは冷凍したバナナで、オートミールと一緒に温めて食べている。いつもは買ったバナナを家でスイートスポット(茶色の斑点)が出るまで置いて、それを冷凍している。冬場は部屋の温度が低いのかうまく熟さない時がある。

そんな私にとっては既に熟し切っているバナナの方がすぐに冷凍できてありがたい。私はワゴンにあるバナナをラッキー♪と思いながら二房買って帰った。

家でバナナの皮を剥きながら、先ほど見た小さい八百屋で買い物をするおばあさんの光景がふと思い出された。

私が、店の規模も小さくて品数も少なく、中にも入れず、電子マネーも使えない八百屋、あれで大丈夫なのかと思った八百屋は、おばあさんにしてみれば、店の中を歩くことなく、普段使いの野菜、果物を目の前でさっと選べ、現金で買える(余計な選択肢がない)、極めて便利な八百屋なのかもしれないということに考えが至った。

私がスーパーで買ったバナナも、一般的にはもう熟しすぎたバナナで価値が低くなっているのだけど、私にとっては、使いやすい状態でしかも安く売られているありがたいバナナだった。

当然のことなのだけど、ある人にとって価値がないものでも、別に人には価値があることがあるし、その逆もある。自分の価値観だけで、いる・いらないを断じてしまうのは軽率だなと思った。

長くそこに存在しているということは、続くのに十分な需要があるのだろう。そこには自分の考えつかない需要もたくさんある。今度、私も小さな八百屋でバナナを見てみようと思う(買うかどうかはわからない)。

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駄々こね太/ Essayist
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