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正しくても人を追い詰めれば害悪だ
QJWebに「SNS断捨離で誹謗中傷クソリプ御託から心を守れ、ミュートは正義」を書いた。
書きもらしたことを、ここで追記する。
正しいか、正しくないかは、関係ない。
正しいことを言っていても人を追い詰めていたら、それは害悪だ。
「正しいのだから」という安心感が、自分に正当性を担保するだけに、よけいにやっかいだ。
いや、そもそも、内容が正しくても、あなたが(わたしが)、その人に、それを言うことは、正しいとは限らない。
それそのものの内容が個別に正しくても、総体として正しい結果をうむとは限らない。
「おまえ、それいま言うことじゃないだろ」である。
リアルな場であれば「文脈」や「空気」が、それを言うことをためらわせる。だが、ネット、とくにSNSでは「文脈」も「空気」も読まずに発言することが可能だ。
そして、とてつもなくピントの外れた発言をしてしまう。ピントの外れた発言がたくさんになって、あたかも、それがメインの文脈であるように場が変わってしまう。最初に発言した人の意図はそこになかったとしても、だ。
子を持つ親が、オタク的なものに嫌悪を持ち、極端な規制を要求するツイートをしたとする。
それは、恐れからくる悲鳴だったかもしれない。
それに対して、間違っていることを指摘する。2つ、3つと増える。追い詰める発言がずらーっと続く。野次馬の野次と化す。ネットニュースになる。炎上する。自分が正しいことを言っていることの快楽におぼれたストレス解消でしかない。
指摘は、そのひとにはまったく届かず、さらに恐れることになるだろう。分断が生まれるだろう。
正しいか、正しくないかは、関係がない。
指先で、人を追い詰めるな。
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