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米村さんと行く大塚国際美術館第二弾(後編)現実逃避のお供に

皆様こんにちは。
徳島大学細胞生物学分野・ヨネケン秘書のあべみょんです。

徳島のくせにしっかり寒いです。
トイレに行くことも嫌になるくらい廊下がヒンヤリ…。
それもそのはず、今朝はほんの一瞬ですが徳島市内にも雪が舞いました。

雪を心待ちにしていた次男がウレションするほどで
・・・いやほんとなんですよこれが・・・
あんまり雪がうれしくて、トイレに行きたかったことも忘れ、パジャマでウッドデッキに飛び出て、

いややっぱりもう限界!!!となってトイレの近くまで行き…扉の前でジョボボボボですよ。もうお母さんブチギレ(笑)

「なんでもっと早くにトイレに行かないのー!!!!このくそ忙しいときに!!!」ですよ。ほんっとに。。。

それくらい寒い1月13日でございます~

年度末で忙しくしてなきゃいけないんですが、見積書が届くまでの間…嵐の前の静けさと言ったところでしょうか…。ドドドドッと見積書が来て、打つべし打つべしの日がやってくるかと思うと…現実逃避をしないとやってらんないんですけども。


ということで、現実逃避にぴったりの、米村さんと行く大塚美術館!
え!?もう第三弾!??

ん~~~…第二弾の続き?といったところでしょうか?

まだ第二弾(前編↑)が読めていない方いらっしゃいませんか?大丈夫ですか?後編が始まりますよ!

私は今さっき読みました(^^♪だから安心して、第二弾(後編)行ってみましょう~(コピペするだけ)

米村さんがFacebookにてアップした、
2021年末、奥様と訪れた大塚美術館のレポート(ルネサンスからバロックへ)です。 

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↑カラバッジョ 果物籠 1596
ルネッサンスからバロックへの架け橋のような人物。ミケランジェロがミケランジェロ ブオナローティという名前ですが、一般にミケランジェロと呼ばれているのに対し、このカラバッジョはミケランジェロ メリージ ダ カラバッジョという名ですが、カラバッジョと呼ばれています。ラファエッロはラファエッロ サンティですが、サンティでなく通常ラファエッロです。どういう仕組みなのか?

それはともかく、ルネッサンスの後期からのマニエリスムという、マンネリとも繋がる否定的な解釈を生むこともあった、古典的調和の意図的破壊という、芸術的洗練、技巧、主観性の追求、協調という様式が主たる流れだったのに対し、ありのままのものを正確にまた強烈な明暗法(キアロスクーロ)によって劇的な情景として描いて評価されました。バロックの始まりです。この絵は虫食い跡に至るまで極めて正確に描かれています。いわゆる静物画はこの頃から作品として登場してきます。

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↑カラバッジョ 聖ペテロの磔  1600
キアロスクーロによって構図をさらに劇的にしています。
その後のルーベンス、レンブラント、フェルメール、ベラスケス、ドラクロア、クールベ、マネもカラバッジョの影響を受けているというほどに非常に大きな影響を残した人だったようです。イタリアではミケランジェロとカラバッジョが最も後世に影響を与えたという評論家もいます。レオナルドは作品数があまりに少なく17-18世紀にはほぼ影響力がなかったようです。その後に科学的な探究心を含めて天才ぶりが「再発見」されたようです。

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↑カラバッジョ 聖マタイの召命 1600
これもまた、暗い状況で暗い部分をわかるような露光で写真を撮ればこうなる、というように光をまともに浴びた顔が白く飛んでしまっている、というほどある種非常に正確に光の効果を再現しています。リアルな感じにする構図、人物の動きなど、ルネッサンス期よりもさらに実際の人物の日常に近づけているようです。

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↑カラバッジョ キリストの埋葬 1600
手振れがありすみません。
芸術家は破天荒とも言われますが、このカラバッジョの場合は実際に殺人を犯し、ローマ教皇から死刑宣告を受け、ローマを逃げ出し、放浪(当時は他の町に行けば捕らえられることはなかったようです)したほどです。最終的に赦しを乞うためにローマに戻る途中で客死。38歳ということでした。恨みがあって殺したということより、喧嘩、口論が絶えず、カッとなったら殺人までエスカレートする、というタイプだったようです。

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カラバッジョ 聖母の死  1605
ここまで考え尽くして丁寧に描く人が、カッとなって人殺しをしてしまうとはねえ。イタリアではカラバッジョの肖像は10万リラに使われていました。今はユーロですが、当時でも人殺しを10万リラ(おそらく5000円以上の高額紙幣と思われます)に使うとは、という声があったそうですが、使われました。

ここで突然あべです(笑)
山田五郎(敬称略)のカラヴァッジョ回を聞いて、とても興味を持ち、カラヴァッジョの絵が好きになりました。次に大塚国際美術館に行ったら絶対チェックしたい画家のひとりです。YouTubeぜひぜひご覧ください。
カラヴァッジョの暴れっぷりを半グレと表現しているところが好きです。

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↑レンブラント
トゥルプ博士の解剖学講義  1632
ルネサンスから明らかに時が経って、美術史的にはバロックと言われる時代となっています。これは集団肖像画です。レンブラントはオランダの人。オランダでは宗教改革はすでに浸透し、オランダ海上帝国を築き、東インド会社を経営、鎖国時代の日本とも唯一布教をしないヨーロッパの国として貿易を行っていた、世界的な商業の国でした。そういうところでは、教会、貴族などではなく、市民から集団肖像画を描いてくれ(写真はまだない)、という注文が来ます。単にひな壇に載っているようなのではなく、このような大学だか病院だかの名士たちを、実際の解剖学講義の一場面という状況の形で描き上げた点が非常に新しく、これが流行したのでしょう。

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↑レンブラント 夜警 1642
こちらは火縄銃手組合から頼まれたらしい。市民の警備のための射撃隊を記念してということです。これも物語的な一場面にしており、描かれた人は歴史的なドラマの登場人物になったようで、非常に気に入った人もいたでしょう。
しかし、芸術として劇的にするためのキアロスクーロと、このタイプの集団肖像画は、十分な光の当たった人、端っこで暗くてよくわからない人などを生み出します。全身描かれている人と、小さな顔が暗くてよくわからない人とでは、同じ料金を払っているのに、不公平感は出ますね。
中央付近に何故か鶏を下げている、子供のような女性がいますが、鶏の爪が火縄銃の部品に似ていることから、狩猟の神扱いなので、その存在はまだいいとしても、その顔は作成時に亡くなった彼の奥さんサスキアだとも言われています。実際にレンブラントは飼っていたサルが死んだ時に、勝手に注文されていた絵にサルを描き込んだこともあるそうです。そのために隅に追いやられた人はたまらないでしょう。ということでレンブラントはこれ以降、経済的に家庭的にも破綻してしまうようです。

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↑ルーベンス
ステーンの城館のある風景 1635
絵の四隅が暗いのは館内の照明のため。フランドルの画家と言われますが、今のドイツ、ベルギー、オランダ、フランスを含めた地域で活躍したようです。時期的には上のレンブラントよりも早いです。これはルネサンス後期から見られるようになった風景主体の絵です。

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↑ルーベンス キリスト昇架 1610
ベルギー アントウェルペン(私の世代ではアントワープ)の聖母大聖堂。ベルギー人よりも日本人に有名なのはカルピスまんが劇場のアニメのフランダースの犬の最終話に出てきたからです。作者のウィーダという人は犬好きで動物愛護協会の設立にも参加し、晩年は犬を集めて暮らしていたほどの人です。不幸な老犬のパトラッシュは晩年に親切な少年に出会い、あるクリスマスの夜(その日は特別に夜にミサが行われ、教会の扉が開いていたため、入れないはずの犬が教会に入ることができた。さらにいつもは閉じられていて拝観料を支払わないと見ることのできない、ルーベンスのキリスト昇架、キリスト降架の蓋も開けられていました)、本当に奇跡的に教会に入ることができ、一生の最後に大好きな少年と一緒に世を救うキリストの絵の前で死ぬことができたという、救いの話です。そういう解釈は山田五郎さんがなさったものです。実際に倒れたのはもう一枚である。キリスト降架の方ですが、それは大塚国際美術館にはなかったかな?劇的な構図、ポーズ、表情、陰影が見られます。

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↑キリスト昇架の一部 犬
実際にリアルな犬が描かれているので、犬好きのウィーダは特にこの絵を選んだのかな?ウィーダ自身はイギリス人で、アントワープを訪れたとき、パトラッシュのように酷使される犬を多く見たそうです。

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↑ルーベンス 鏡を見るヴィーナス 1614
画家はどうしても美しいものを描くなら、自分が美しいと感じるものを描きたくなる。もともと現代的なプロポーションは美の観点から外れていたそうで、この頃は実際よりも太っているように描く肖像画もありえたようです。この腰回り、背中などはセルライトの見え方などなかなかすごい。ルーベンスは特にそれが個人的に好きだったようです。

またまたあべです。
ちょうどタイミングよく、私も今朝チェックしたYouTube↑ですが(※年齢制限が設けられるような過激な内容ではありません)ルーベンスさんはポチャッとした女性が好きだったようで、女性の絵には、わざわざ『ポチャ盛補正』をするほどだったとか。
美しいの基準もいろいろですね。私の絵がもし、セルライト増し増し補正されたら絶対いやだけどなぁ~(笑)

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↑ベラスケス  
教皇 イノケンティウス10世の肖像  1650
肖像画としては頂点と説明されています。なるほど、写真を撮ったとしても、懐疑心を持った最高権力者の威厳のようなものが出ないのではと思いますね。

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↑リゴー
ルイ14世  1700
太陽王と呼ばれブルボン王朝の最盛期を築いたフランス国王。
これは美術的なものではなく、服飾の観点から。マントにある黒い点は何か。毛皮のマントです。

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レースなどの微細な描き方もすごいが、とにかく黒いのは毛皮の主のオコジョの尻尾の先です。イタチの仲間の動物です。冬に毛皮が白く生え変わるオコジョですが、尻尾の先は筆のように黒いままだそうです。つまり、黒い点の数だけのオコジョが使われているということです。それが王のマントに使われるということは、オコジョの毛皮が貴重なものだったということです。ルイ14世やナポレオンのマントはものすごい数のオコジョが狩られた結果で、今となってはそんなにしてまで権威を示さなくても、と思いますね。


以上!大塚美術館後編でした~~~~(^^♪
今回短め、と思ったけどそうでもないですね(笑)もう一つ小ネタもございましたがやめときます!

ではでは皆様、寒い日が続きますが風などひかれませぬように~
さむい~、夜だ~か~ら♪ 我が家は昨日はおでんでした(^^)

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