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私の心のこり


Twitterにそんなハッシュタグがありました。

ロンブーの淳さんが「必ず訪れる死について前向きに考えるコミュニティを作りたい」と、
この世から心のこりをなくしたい、ということで『ITAKOTO』という遺書動画サービスをプロデュースされるようです。

(心のこりが、『心残り』なのか、『心の凝り』なのか、どちらの意味も含めてのハッシュタグなのかは分かりません)


どう考えることが死について、前向きになるのか?という疑問はありますが、

『死』について考えるコミュニティということなので、『死』について書いてみようと思います。


人は、どんな時に『死』について考えるのでしょうか。


・死がテーマの作品を見た。(小説、ドラマ、漫画、アニメなど)

・誰かの死に遭遇した。(身近な人、家族、親戚、友人、知り合い、仕事が死に関わっているなど)

・自分が死にたいと思っている。

『死』というものは一つなのに、そこに至る過程が一つではないから、語られる場が少ないのではないかと思います。


自然死、突然死、病死、事故死、自死、殺人。(他にもあるかな)

いつか死ぬことは決まっているけど、いつ死ぬかは決まっていない。分からない。


私は子どもの頃から死について考えている方だったと思います。

最初、それは現実的な意味での死について考えているのではなかったかもしれません。

小説や漫画やゲームの中に、死の表現は当たり前のように出てきます。

誰かが語らずとも、死について考える機会はどこにでも転がっているのです。


でも、まだその時点では、死と自分をつなげて考えるということはしていなかったと思います。

あくまでも現実とは違う世界の話だと考えていたと思います。

本を読んだりすることが現実逃避をするための手段でもありましたから。


子どもの頃から、家の中があまりいい状態ではなかったので、見ないようにしていました。

記憶の限りでは、両親はいつも不仲で、父はアルコール依存症、パチンコ依存症で、DVで、母はそれに耐えていたけど、父の悪口や愚痴をずっと子どもである私たちに言っていました。

いくら目をつぶっても、耳を塞いでも逃げることのできない状況で、私にできることは現実逃避することだけ。


経済的なことが一番の不仲の原因だったと思います。

実際にお金がなかったのか、使い方が悪かったのかは分からないけど、常にお金がないということが子ども心に刷り込まれていた気がします。

何かを選ぶ時に、欲しい物や食べたい物でなく、値段を気にして選んでしまうことがあるのはその頃の考えが影響しているのかもしれないと思うことがあります。


思春期頃になると、両親が不仲だとか、経済的に恵まれていないということが自分にとってはとても恥ずかしく、嫌なことだったので、周りにバレないように過ごしていました。

自分のことに必死で、兄や妹がどういう風に考えていて、行動していたかも分からないけど、誰もグレたりしなかったから、子どもの方がよっぽど大人だったのでしょう。

小説でよくある設定が、両親が不仲だからグレたとか、経済的に恵まれていないからグレたとかいうものだったので、そう思われたくなくて頑張って生きていました。

でもずっと不仲なのに離婚せずに一緒にいることと、お互いの悪口、愚痴を子どもに聞かせ続けることに、ものすごく怒りが芽生えていました。

積み重なってきていたことと、思春期の不安定な心もあって、暴走しそうでした。

親を殺すことと、自分が死ぬこと、どちらも考えていました。

誰かを頼ろうとは思いませんでした。

学校では優等生でもなく、劣等生でもなく、どちらにも突出せず、目立たないように、迷惑をかけないようにして、先生ともなるべく関わらないようにしていました。

親が助けにならないのに、他人が助けてくれるとは思えませんでした。

それでもなんとか、どちらも実行しなかったのは、兄妹がいたからかもしれません。

そして、想像力を働かせたから。

親を殺せば、兄や妹に迷惑をかけてしまう。それだけは絶対嫌でした。

自分が死ねば、自分は楽になるかもしれないけど、残された兄や妹は?と考えました。


そして、私は思いとどまりました。

でも、いつも寝る時、このまま目を覚さなければいいなと思っていました。

行動に起こすことはありませんでしたが、常に希死念慮がありました。

それでもなんとか生きていました。


いつ終わるか分からないから、今が辛いから、終わらせてしまいたくなるけど、どうせいつかはみんな死ぬ。

だったら今じゃなくてもいいか。

そう決めて、家の中の状況を見ないふりをすることにしました。

私の話は聞いてくれないと思っていたので、両親との会話はほぼなくなりました。

母に父の悪口をずっと聞かされて、父=悪いと洗脳されていたようなものなので、元々無口な父と話すことはありませんでした。

高校卒業後にやりたいことがあって、母に言ってみたけど、反対されました。

反対されてもやりたかったならやれば良かったじゃないか、と言われても、その時はその選択しかできないものです。

親の言うことは絶対、大人はいつも正しいと思ってる、思わされている世界では選択肢はあるようでないのです。

それが正しくないかもしれない、ということは他と比べてはじめてできるのです。


そんなこともあってか、ますます父とも母とも話すことはしなくなりました。

家族であっても話せば分かるとは思いません。

相手の話を聞こうとしない時点で会話が成立しないと思っています。

家は、親だから、大人だから、強い方が正しい世界でした。


見ないふりをして数年、父の借金が見つかり、父が仕事を辞め、両親が離婚しました。

離婚後も同居しているというおかしな状態でも、私は何も言わず、見ないふりを続けました。

そんなある日、父が自死をしました。
(もう20数年前のことです)

いろいろな感情と考えが巡ったと思うのですが、もうあまり覚えていません。

でもその中で、やっと終わった、とホッとした気持ちがあったのは事実です。

借金、暴力、見ないふりをしていたけど、なくなったわけではなかったから。

勝手に暴れて、勝手に死んだ。

冷たい娘だと思われても、自業自得だと思っていたし、父が決めたことだ、と思います。


あれだけ勝手に生きていたのだから、最後まで勝手だったというだけ。

鬱だったのかもしれないとも思うけど、それももう分かりません。

あの時に自分にできることはありませんでした。

今ならなんとでも言えます。

綺麗事も言おうと思えば言えるけど、それはしません。

変えようがないことを、できたかもしれないことを考えても後悔が生まれるだけです。


そして、私は自死を否定することも肯定することもできません。

今でも、父のことを考える時があるし、希死念慮がふとあらわれることがあるから。


『死』を考える時、まだ多少なりとも心残りがあるから『生』の方で保っているけれど、もうどうでもいいや、って思ったら、『死』に傾くかもしれない。


心残りがあることで、生きる希望が持てるということもあると思うので、全てをなくそうとすることがいいことなのかな?と思います。


死後の世界がどういうものかは分からないし、生まれ変わりがあるのかも分からないけど、心残りが全くなく死んだならば、次に生まれ変わらなくてもいいと、自分なら思ってしまう。

もう全部やり切ったなら、未練がないなら、この世界は必要ないと思うから、再び生まれ変わる必要もない。完全なる消滅を望む。


『死』について考えた時、自分に一番身近なことが『自死』だと思ったので、そのことについて書きました。


『死』は特別なことではない。

そこに至るまでが人によって違うので、特別な感じがするだけ。

何かに意味を持たせるのはいつも人間。

ネガティブでもポジティブでもどっちでもいい。

前向きでも、後ろ向きでも死ぬ時は死ぬ。

それが生まれたものに与えられているたった一つの平等で共通の事実。


そして気づいたことが一つ。

私は『死』について真剣に考えている時は、希死念慮が薄れているかもしれない。

『死』に近づいているようで、遠ざけているのかもしれない。



長くなりましたが、読んでいただき、ありがとうございました。

良き日でありますように。

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