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自分がどういう人間か知りたかったら


他人に聞いてみる。

自己分析というものはあるけど、自分の視点でしか見れないから、自分に厳しい人は自己卑下しがちだと思う。

自己肯定感が低いとか。

自己肯定感ってなんだろうって考えた。

自己肯定感とはこういうものですとか、自己肯定感をを上げましょうとか、上げるための方法とかの書籍はたくさんある。

ありのままの自分を肯定する感覚。

他者と比較することなく、自分自身が今の自分を認め尊重することで生まれる感覚であり、物事を前に進めるための原動力となります。

自己肯定感が高いにしても低いにしても、全くない人っていないんじゃないかなと思った。

多分自己肯定感というものが全くなくなったら、生きていられないと思うから。

どれだけ低くても生きている限りは自己肯定感はどこかに持ってるってことだと思う。

高いとか、低いとか言ってる時点で誰かと比べてる。

自己肯定感は誰にでもあります!でいいんじゃないか?

自分がどういう人間か知りたかったら、他人に聞いてみる。

自分はこういう人間だと思ってるけど、どう思う?

そう思う。そう思わない。そういうところもあるけど、こういうところがある。

自分では分からない面を言ってくれる可能性がある。

大体自分が思ってる自分は、近しい人に、そういう人間だと思い込まされてきた可能性がある。

一番は親。

あなたはこういうところがあるからって言われたとしたら、それを信じる。

そこしか最初はまだ判断材料がないから。

親の影響は大きいけど、それに影響され続ける必要はない。

よっぽど特殊な状況でない限り、成長するにつれて親以外の人と接点は持つようになっていく。

自己紹介する時、性格の面を伝えるときに自分はこういう人間です、と言う。

その性格は誰から言われた?決めた?誰と比べた?

そう考えると自己分析って自分だけではできなくないかって思った。

誰かと比べてどうとしか言えない。

この人よりここが優れている、劣っている。

他人に聞く。

こういう人だと思ってた。

思い込み。人の噂か、本人が言ったか。

違う視点から見た自分。

自分では気づいてないところを見てくれている可能性がある。

誰でもいい。

関係が薄い人でもいいかも。

雰囲気とかでこういう人だって勝手に思われてる可能性がある。

自分が知らない人を見た時にどう思って、知り合った後に最初の印象とどう変わったかとか考えてみるのもいいかも。

自分がどういう人間か知られていないうちは、自分のことは伏せておく。

バイアスがかかるから。

バイアス 思考や判断に特定の偏りをもたらす思い込み要因 得られる情報が偏っていることによる認識の歪み、といった意味で用いられる語 傾向 先入観


日本語で言うと、先入観がある、とか色眼鏡で見る、ってことかな。

色眼鏡で見るってあんまり使わないけど、いい表現だなぁ。

色眼鏡で見る、と色の付いた世界が見えてるけど、外すと違う世界の見え方になる。

色=偏見ということかな。

バイアスという言葉も使いたいけど、色眼鏡で見るという言葉も使いたい。

言葉ってやっぱりいいなぁ。面白い。

読んでいただき、ありがとうございました。

良き日でありますように。

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さいたづまいろ
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