自分の気が散るのには、理由があると許すことで、集中する。
2020.6.25.木 #341日目
ボクは、YouTubeを聴きながら絵を描いてた。
あれ…ペンが進む。
ボクのペンがどんどん次の絵に進もうとするのです。
普段、ぼくはある程度目標を決めて絵を描く。
今月は8割程度までペン入れの面積を終わらせるぞ!
とか、
今日はこの動物を描きるぞ!
と。
達成したいのはその目標なのだ。
だか、この世界には誘惑が山ほどある。
中でもスマホの画面というのはぼくたちを取り巻く悪魔ようだと思うことすらある。
通知、タイムライン、画面が気になるのだ。
結果、YouTubeを2時間見てしまったとか、Twitterを2時間も触ってたとか、わけのわからない行動に出て時間を失うことがある。
当然、絵は進まない。
ボクは目標のために絵を描いているだけではなく、見る側のことも楽しませられたらと思っているから、そんな時は後悔に苛まれる。
「何やってんだよ。おれは」
って、自分を叱ることすらある。
その瞬間感情的になるから、絵を描けなくなるのだ。まさにこういう細かな失敗は日々繰り返している。
あなたもそんなことはないだろうか。
また、気が付いたらこんな時間だっていうことが。
そんな時、ボクはこうする。
そんな自分を敢えて許すんだ。
後悔すると分かっていても、好奇心がそっちに走ったのには理由があるわけだから、敢えてその好奇心のままに身体を預けるんです。
すると、感情的にならない。
そして、YouTubeを見ながら、机の上に絵を置き、ペンを手にする。
ペンを持ったら、紙に目がいく。
この瞬間に画面を消して、聴き流す状態にうつすことにしてみるんです。
「何やってんだ、おれは」
ではなく、
「なんで、絵を描いてるの?」
くらいに自然に入り込むよう自分自身を誘導するのです。
自分自身の行動を決めているのは、目の前に設定した環境であったのです。
目の前に描く目標の絵を置き、ペンを握れば、YouTubeを見てても、そのうち気が散って、絵に気が向く。
この瞬間、好奇心は、スマホよりも画材に向いているし、描きたいものを描きたいという気持ちになっていく。
責める必要なんてなかった。
YouTubeを聴き流してるのだか、いつのまにか、1時間、2時間とペンが進むのです。
不思議だ。
ボクはボク自身の人生をコントロールすることはできない。
だけど、
ボクはボクの目標に近づくための周りの環境を設定することはできるんだ。
では、作業に戻ります。
ばいばーい。
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