ギリシャ神話から考える女性哲学【ペルセポネー】
あっという間に2025年を迎えた。
本当のことをいうと、2024年の終わりの日にこの記事を執筆して2024年の締めとしてアップしよう!と思っていたのに、あまりにも自堕落な生活を送ってしまって、なかなか進まなかった。
仕事始めの日と重なったからか社会に引き戻された感覚がヒシヒシと伝わってきて、この記事を執筆する活力も湧いてきた。
前置きが長くなってしまいましたが、本年もどうぞよろしくお願いします。
さて、2024年が終わろうとする2週間前…になりますか。
ある物語に出会い、私の人生のページに刻み込むことになったある女神の話をしたいと思います。かなり長文です。
私の中で整理したいがために淡々と語っているだけです。
ペルセポネーという冥界の女王をご存知でしょうか。
わたしはというと、ペルセポネーと聞いたら真っ先に思い浮かんだのがパズドラのキャラクターです(いや古い)
「いや、古すぎるだろ」という声が幻聴のように聞こえます。
写真は、最近実装された超越化のペルセポネです。
最初にペルセポネが実装されたのは、2013年ですからね。
おっと、話が逸れてしまいました。
彼女の歴史を知ったのと同時にギリシャ神話はこんなにも面白いものかと初めて知る契機にもなりました。
ハデスやゼウスなど、ギリシャ神話で有名な神々の存在は知っていましたが、女神はこの本から存在を認識するようになりました。
ギリシャ神話に触れたのは、『女の子のための西洋哲学入門 思考する人生へ』の本の中にあるプロローグです。
本編ではありません、プロローグなのです。
本編よりもプロローグで心に響く物語は人生で初めてです。
あまりにも響きすぎて、付箋貼りました。いつでも読めるように。
そして、このペルセポネーの物語ですが…ペルセポネーからみた主観となっているので、中立的立場から自分調べで情報を集めて絵画の意図や柘榴の花言葉など諸々組み合わせて、物語を作ってみました。
ペルセポネーの物語はここから始まります。
冥界の王ハデスがある日、花を摘むコレー(ペルセポネー)に一目惚れしました。
彼女に一目惚れした不器用な彼は彼女を攫って、強引に冥界へ連れていくことになります。
ハデスは冥界でペルセポネーに「自分の妻になってくれ」と懇願します。
これがハデスとペルセポネーの出会いです。
攫われる前は「コレー」として生活していました。
大地と豊穣の女神でもあり、ペルセポネーの母でもあるデメテルと共に過ごしていたのです。
自分の娘がハデスによって攫われ、冥界へ連れて行かれたと知った豊穣の女神デメテルは怒り狂い、神々の王であるゼウスを問い詰めました。
ゼウスは「心優しきハデスの元にいるなら問題ないだろう」とデメテルを宥めましたが、デメテルの怒りは収まらず、「コレーを連れ戻さないと大地と豊穣の神としての仕事を放棄する」とゼウスを脅します。
ゼウスと周囲の神々が「デメテルが怒り狂っていて止められない。大地が揺れている。豊穣を枯らされる前に娘と会わせてはどうか」とハデスに提案します。
自分が彼女を強引に冥界へ連れて行ったのだから、今度は彼女が地上や天界へ帰るかもしれないと焦ったハデスは、あの柘榴の実を彼女に渡しました。
ペルセポネーはハデスから柘榴の実を受け取ります。
ハデスに優しくしてもらったこともあり、色々なことを受け入れ始めていた状況の中で、ペルセポネー自身も実は好奇心が強い性格を持っていたために「柘榴の実の味が気になるから、食べてみよう」と口にしました。
柘榴の実は冥府の食べ物で、冥府の食べ物を口にした者は冥府に属することになります。
もちろんペルセポネーはそれを知らずに口へ運びます。
ペルセポネーは柘榴の実の美味しさに感動したのか4粒食べました。
その掟を知っていた豊穣の女神デメテルはペルセポネーに再会できたときは心から喜んでいましたが、柘榴の実を食べた話を聞かされた瞬間に嘆き狂い、大地と豊穣に雷と嵐が吹き荒れました。
わずかな間だけ天界や地上へ帰れるペルセポネーに再会し、一緒に過ごすことで大地と豊穣が豊かになる春がやってきて、娘が冥界へ帰り、たった一人で過ごすことにデメテルは嘆き狂い、心を閉ざしてしまうのと同時に大地と豊穣も枯らす冬がやってきます。
これがギリシャ神話における「四季の誕生」といわれています。
ここで母娘の嘆き悲しき物語として終わることが多いですが、ここからこの現代に合わせた物語があります。
デメテルは長い間深い悲しみを抱いていましたが、ペルセポネーは悲しみはありつつも、前に進んでいました。
冥界の王ハデスに攫われたことで、ハデスの妻となり冥界の女王として君臨した彼女ですが、デメテルの元で呼ばれていた「コレー」という名前は時と共に忘れ去られるようになりました。
忘れ去られるのと同時に「ペルセポネー」の名前が浸透されるようになったことで、冥界の女王としての権力や実力がつき、ハデスと同様に力があると言われるようになりました。
豊穣の女神デメテルは怒り嘆き狂っていましたが、ペルセポネーはハデスに一目惚れされ冥界へ攫われたものの、ハデスに抵抗することなく、彼の妻でもあり冥界の女王としての仕事を淡々とこなしていたそうです。常に夫婦で一緒に死者を裁いた話もあります。
「コレー」はギリシャ語で、日本語に訳すると「少女」と「娘」、「若い娘」です。
また、柘榴の実についてもいくつかの複数説があります。
ペルセポネーが食べたのは4粒とされていますが、実際は4粒よりも多く食べている説もあります。6粒程度です。
本来は地上や天界へ戻れないはずが、豊穣の女神デメテルの怒りをおさえるために1年の内4ヶ月間は地上にいてもいいとゼウスや神々が決めた説もあります。
ハデスの代表作は幾つかありますが、ペルセポネーの代表作は圧倒的に少ないです。
ハデスの妻として出ているので、登場したとしてもハデスの隣にいるだけです。
ギリシャ神話でもペルセポネーの登場が少ないと言われている中で現代のペルセポネーの代表作はアメリカの詩人、ルイーズ・グリュックの「アヴェルノ」だと思います。物語の主人公は、ペルセポネーを指しています。
ルイーズ・グリュックは詩人ですが、このペルセポネーのところだけ短編小説のように数ページ分ありました。
翻訳本だからこそだと思いますが、彼女の魂を感じました。
個人的にルイーズ・グリュックが執筆したペルセポネーの物語が現代に近い感じがします。
ペルセポネーに関する話を書き始めたのは50年前からです。アヴェルノが出版されたのは2006年ですが、日本語訳本が出たのは2023年です。
多様性が豊かになった社会の中で読むとより一層、心に来るかもしれません。
何かと生きづらい世の中で、自分にとって必要な言葉がたくさん入っています。
そして、このペルセポネーの物語を読んでどんな感性を抱くか哲学的視点で考察すると楽しいのではないかと気付きました。
何が正しいかなんて、人それぞれでいいのではないかと。
人それぞれ感じ取る感性は異なっていて当然ですから、私はあれよこれよと考察しました。
いろいろ考えてもやはり、ルイーズ・グリュックのアヴェルノが私にとって、しっくり来ます。
現代人には読んでほしい一冊の本です。
母娘を引き裂いた悲哀の物語としてみるか、ペルセポネーの巣立ちの物語としてみるか、様々な観点が生まれると思いますが、私は後者です。
これだけはここに残しておきたいのですが、先ほどお話しました「女の子のための西洋哲学入門 考察する人生へ」は女性に向けた本ではなく、人類全般に読んでいただきたい、と強く思っている本です。
タイトルは、そのままストレートに「女の子のための」となっているために読者層が限られてしまうイメージがついてしまいますが、これまで出されてきた哲学書は、男性による男性のための哲学書が多く存在しています。
哲学者も男性で、男性による視点で書かれている本です。
女性による女性のための哲学書が一冊でも存在すれば心強いのではないかという理由の一つとして、このタイトルにしたそうです。
お察しの通り、この本に執筆されている筆者も女性の哲学者です。
この本を取り纏めた担当者も全員女性で、完璧に出来上がるまで10年も費やしたそうです。
個人的な意見になりますが、当方のアイデンティティはノンバイナリーであるため、性別に拘る必要ないと感じている側です。しかし、世の中ではそういうわけにはいかない。
白黒しかない男女という当たり前な世界の中で、思考する人生は女性にもあって当然だと、この本を読むことで思考していいかつ自信を持って主張していいんだと思わされる本の存在が必要だと思います。
この世の中でたった1冊だけでもいい。
そんな思いでこの本を購入しました。
何故、このタイトルにしたのかこの本の前置きにもすべて書かれていますので、是非この本を手に取って、目を通してみてください。
ペルセポネーの物語の本質が、女性だけではなく全ての方々に伝わりますように。
あなたもペルセポネー。あなたの友達もペルセポネー。みんなもペルセポネー。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
〆