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タンゴ歌謡の魅力③トロイロの〈スール〉、ピアソラの〈南に帰ろう〉

トロイロの名曲「スール」

「タンゴ歌謡の魅力」第3回。
まずはアニバル・トロイロの代表曲のひとつ「スール」を紹介しましょう。1948年作曲、オメロ・マンシ作詞の作品です。

「スール」とはスペイン語の一般的な名詞で「南」を意味しますが、ここではタンゴの生まれ故郷であるブエノスアイレス南部の下町を意味します。
トロイロがアルゼンチンタンゴの魂として描き続けた下町情緒が最も濃厚ににじみ出た作品といえるでしょう。
大きくうねるようなトロイロの独特の節回しはこの曲に何とも言えないノスタルジックな印象を与えており、下町の情景を繊細に描くマンシの歌詞は去り行く過去への惜別の想いに満ちています。

泥臭く垢ぬけないようで、人情味と奇妙な洗練が感じられて……
あまりにもその土地に根差した歌なので、現代の日本人には100%この歌の情緒は理解できないかもしれません。
それでもトロイロの音楽を聴くと、すでに失われてしまったブエノスアイレスの下町の匂いが息づいているように感じます。

サンファン通りとボエドの古い町並み、高い空
ポンページャ地区の向こうは水浸し
恋人だった君の髪は想い出の中に、
君の名前はサヨナラの言葉の中に浮かんでいる
街角には泥じみた鍛冶屋と草原、君の家、歩道、水路・・・
そして草の香りがまたもや私の心を満たす
南へ・・・大きな塀の向こうに、酒場の明かりがひとつ灯る
君はもうショーウィンドウにもたれて待っている
私の姿を見ることはないだろう
ポンページャで夜な夜な仲良く歩いた
私たちの足どりを星たちはもう照らすことはないだろう
私はもうわかっている・・・下町の街路、月、君の窓に映る私の愛
・・・みんな消えてしまったことを

アストル・ピアソラ『南へ帰ろう』

フェルナンド・E・ソラナス監督の1988年の映画『スール/その先は…愛』の劇中曲。この映画はカンヌ映画祭で監督賞を受賞しています。

アストル・ピアソラは同じソラナス監督の「ガルデルの亡命」に続いてこの作品でも音楽を手がけており、劇中でタンゴの大歌手ロベルト・ゴジェネチェが歌っています。

この映画の中ではこの作品以外にも、『マリア』『最後の酔い』『ガルーア』などトロイロの作品を中心にタンゴ歌謡の名曲が取り上げられており、前作以上にタンゴへの思いれの深い作品といえるでしょう。
晩年のゴジェネチェは喉が衰え、声がしわがれてしまいましたが、それを逆手に取った誰にもまねのできない、独特の歌唱法で珠玉のタンゴの数々を味わい深く歌い上げています。

南へ帰ろう・・・いつも愛に帰っていくように
あなたのもとに帰ろう・・・私の願い、私の恐れとともに
私は南を身にまとう・・・心の行き先として
私は南から来た・・・バンドネオンの音色のように

この映画の冒頭、さびれた街路で歌われるアニバル・トロイロの『スール(南)』。
この映画自体もトロイロのこの名曲からインスピレーションを得ているのでしょう。

タンゴにおける「南」のイメージ。
なつかしく、少し寂しげで、自分がいつか帰っていく場所・・・まさに下町で生まれたタンゴの原風景です。
この「南に帰ろう」や、映画の中にちりばめられたピアソラの音楽は、さながらトロイロの作品に対して、長い時を経て返されたアンサーソングのように感じます。

晩年に差しかかり、長いタンゴ革命の闘争も終わり、ピアソラもまたどこかに回帰していく思いはあったのではないでしょうか?

この映画から2年後、パリで脳溢血に倒れたピアソラは大統領専用機で祖国に帰ることとなります。

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