木石

我发现花未眠,或许因为我独住一室,夜间四时醒来的缘故吧。

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我发现花未眠,或许因为我独住一室,夜间四时醒来的缘故吧。

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「房思琪の初恋の楽園」

今月の研究報告書を書くため、やっと前に書いた読書感想文の一部を翻訳しました。ここにその一部をアップロードします。 私は昔、「美」を崇拝し、ひいては「美」そのものを信仰している人である。過去、美が自分自身を目的とするからこそ、美は自由でありうると思い込んでいる。美を通じて、人間は自分に加えられた、社会・規範・慣習の桎梏を振り切ることができ、心の喜びと浄化を得ることができる。しかしこの迷夢を打ち破ったのは、少し前に読んだ極めて痛ましい小説「房思琪の初恋の楽園」だった。この小説は

    • 天国へ

      失去挚爱是何种感受,我在去年今日有幸地、不幸地得知了。 往后余生我将有持无恐,因为比失去您更可怕的事情,这世上再没有了。 不知是出于您的残忍,还是反之出于您的慈悲,这段时间您不再入我梦中。回忆开始朦胧,像沾了水的墨痕一般窸窸窣窣地晕染开,像在时间细小的针脚上一蹦一跳地走散,像落雪的冬夜中赶路人的脚印,被柔柔地爱抚、缝补、冲淡。 您两眉间形同“川”字的皱纹,您捧腹大笑时“咯咯”的声音,您阅读时,那酒瓶底一般厚的近视镜片近乎挂在报纸上的样貌,您抓着栏杆费力下楼时的姿态……我逐渐需

      • 早睡选手久违的失眠日记

        “语言是存在的家”。 当我真的只身一人来到一片陌生的国土生活时,才如此痛切地感受到这一点。 语言能呈现出来的人类情感本身就极其有限,而当我用非母语进行表达的时候,我枯竭的词汇量(或许在日本大约只能算是幼儿园水平)只能表达最愚蠢肤浅的含义。 当我真心想夸赞他人或是聪慧,或是体贴,或是清醒的时候,我能使用的形容词只有“すごい”和“優しい” 当我想形容一步作品或是摄人心魄,或是有醍醐灌顶之震撼力时,我说出的仅仅是“面白い” 表达日常情感尚且吃力,表达抽象的存在就更显无力。 我如同语