もし、ベートーベンが類人猿から音楽を教わっていたら
先週末の呉座勇一さんとの配信では、話の枕のつもりだった「コロンブス」炎上が、目下の歴史学の問題点を考える上でも大事なトピックになった。
ぼくは普段、ネタが旬でなくなった後もたどれるようにリンクを貼るのだけど、この話題はどのサイトを選べばいいのかわかんないくらい炎上しすぎて、疲れてしまう。いちばん「批評性」を感じたNoteの記事を挙げておくので、それで勘弁してください。
興味深いのは、当初はいまの基準でNGなミュージックビデオを作ってしまったバンドの側が炎上したのに、後から話題に食いついて蘊蓄を垂れ流し「人文系博士を雇っておくと、一回見ただけでもこれくらいのことは言えるので、大企業は雇ってみてはどうでしょうか?」と発言した人文学者(筑波大学助教)も同様に炎上したことだ。
こちらもすでに語り尽くされてお腹いっぱいなので、あまり指摘されなかったことを書いておこう。ご本人のプロフィールによると、その方は南カリフォルニア大で映画学・メディア研究のPh.Dを取られているらしい。
元々のビデオは、コロンブスとナポレオンとベートーベン(に扮したバンドメンバー)が、離島に生き残っていた類人猿を見つけて「文明を教える」というコンセプトが、悪しき欧米中心主義だとして批判を招いた。
そういう「コロンブスしぐさ」はよくないよね、とは自分も思うんだけど、首をつっこんで炎上した助教氏はたぶん、米国の最先端の教養に基づき水準の低い日本人を政治的に導く「マッカーサーしぐさ」は、コロンブスとは違って、いいものなんだと素朴に信じていたんだと思う。
……同じでしょ(笑)。
そうした目で見ると、「発見・冒険者ネタ」は危険度高し、特に「先住民的なモチーフ」は要警戒、みたく歴史に素材を採ることを萎縮する空気が瀰漫するのに反して、いやいや、いちばん危ないのは「教える」という発想じゃね? という気がしたりする。
もし曲名がコロンブスなのは直せないにしても、たとえばベートーベンが「ピアノを教える」(ヘッダー写真)んじゃなくて、類人猿からむしろ彼らの芸術を教わってふむふむと感得する内容だったら、だいぶ印象違ったと思うんですよね。
そら、類人猿にはオーケストラの旋律は書けない。でもベートーベンだって、類人猿のリズムからしたら、たぶんスゴい音痴だ。「相手の基準で見れば」劣等生なのはお互いさまで、どちらかがどちらかに教える関係じゃないゾ、というのが、いちばんシンプルに炎上を緩和するモラルだろう。
なので、それさえあれば人文系の博士号は、別に要らない。まぁぼくも持ってるけど(苦笑)。
ちなみに「コロンブス」、聴いてみたらいい曲でした。炭酸飲料のCMソングだから、スキッと爽やかにイイ気持ちになることに徹していて、歌詞に文脈はなかったりしたけど。
問題は、かつては何も考えずスキッと爽やかな空気を喚起できた「偉人のイメージ」(たとえばコロンブス)が、世界の複雑化と歴史の見直しによって、昔ほど素朴にみんなをイイ気持ちにさせてくれないことなんですよね。だから、工夫がいる。
そんな時代にぼくが「いいなぁ」と思う歴史と音楽の扱い方は、たとえばこちらの ”I Want You Bach”。Bachは作曲家のバッハですが、英語での発音は「バック」なので、Jackson 5の名曲 ”I Want You Back”(帰ってほしいの)との掛詞になっています。
バッハが黒人音楽家に「教えて」たら炎上するけど、クラシック meets ソウルで双方が対等に影響を与えあう(気持ち比重後者寄り)ビデオだから、色んなことを考えさせるわけです。ぶっちゃけ、バッハだって最初に出てきたときは「権威」じゃなく、むしろマイケル・ジャクソンやブルーノ・マーズみたいに「楽しまれた」んじゃないの? とか。
つくづく(歴史にまつわる)人文知はいかにあるべきか、反省させられますよね。まぁもう選択肢としては、はっきりしていて、
……どっちを選ぶかは自明でしょう(笑)。
西欧中心主義に基づく「優劣づけ」がなされがちだった歴史の感覚をいったん均して、世界の見方を平衡にするセンスについては、今月の残りでも連投していきたいと思います。「楽しく」おつきあい願えるなら幸甚です!