「タダコロナ」のつけ払い請求書が、来月から国民に届きます。
週末にクリニックに行って、薬局に処方箋を渡した後、なんていうか「お喋り好き」っぽいおばあさんの薬剤師に名前を呼ばれた。ところが顧客との世間話にしては、妙に気まずそうである。
そのはずで、要は10月から、ジェネリックの薬剤を選ばないと薬代が高くなる。概算だが、ひょっとすると倍になるだろうと言われた。そんな「不利益変更」をお得意さまに切り出すとなったら、言い澱まない方がおかしい。
「え、いきなり倍すか?」と聞き返すと、こんな感じの説明が続いて――
「財務省の陰謀ガー!」になったら長そうな気配を察したので、「要するに、ぼくは来月までにどっちの薬にするか、考えておけばいいんですね?」と答えて退散したのだが、説明のどこまでがマニュアルに沿ったもので、どこからがおばあさんのアドリブかは、ちょっとわからなかった。
帰宅後に調べると、昨年末から「方針」としては報道されていたようだし、そもそもこれまで、ジェネリックを選んでも大して値段が変わらない方がヘンだった、という側面はある。薬局の説明チラシ(ヘッダー写真)には、こんな「わかりやすい喩え」も載っていて、思わず苦笑した。
それはいいんだけど、気になるのは来月になったら「これはひどい! 貧乏人は『劣った薬』でガマンしろというのか。新自由主義ガー! 弱者切り捨てガー! カネより命!!」と、Twitterとかで叫び出しそうな人たちのことだ。
おばあさんの説明にあるとおり、少なくとも「きっかけ」としては、無料で入院し放題・ワクチン打ち放題だったタダコロナ政策のつけ払いを清算し始めるんで、国民に請求書送りますね、っていう事情はあるだろう。で、叫びそうな人たちはコロナの時には、なんて言ってましたっけ。
この恥ずかしい文章に表れているとおり、当時は「補償さえ出せば自粛の強要OK!」が、正しくないダメなリベラル派の空気だった。要は、自分たちが国家の強権(自由の制限)を望む自己矛盾から目をそらし、後ろめたさを打ち消す免罪符として「補償! 無料! カネ!」とばかり騒いで、政府の「コロナつけ払い」を後押ししたわけである。
口では「カネより命」と言っても、当の本人が実は「自由よりカネ!」で、かつ「命よりカネ」でもあったわけだ。そのことは、コロナワクチンの薬害問題に対する、彼らの露骨な無視を見ればわかる。
これは後出しジャンケンではなく、ぼくはそもそも最初の緊急事態宣言が出る前から、そうした安易な態度の横行に、釘を刺していた。
もう何度も書いたけど、「カネさえ出せば」何でもやっていい、憲法も人権もスルーしていい、自由や公平さなんて知らない、とする風潮はコロナで生まれた。そんなものを生み出さず、みんなが個人の自由を尊重して振る舞えば、後から「つけ払い」の請求書なんて届かなかったかもしれない。
おそらくはタダでなく有料だったほうが、未知のワクチンを打つ前に熟考する度合いも高まったし、打たない人にも寛容な社会であり得たろう。
そうしたチャンスをぼくたちは棒に振り、「(自粛+補償)✕(ワクチン+無料)=最☆強」みたいな、口にする一瞬だけはどこからもクレームが来なそうな言葉の麻薬に溺れた結果、つけの返済は(たぶん)永遠に続く。
巷の話題は自民党の総裁選一色で、「あの候補は社会保障費の問題に切り込んだ」「この候補はそうじゃない」といった論評を、しばしば目にする。
しかし、単に「つけを取り立てますよぉ~」というだけではなくて、安易な「カネで問題が解決するふり政策」はもうしません、としっかり明言し、本当の意味でコロナ禍の(負の)政治を終わらせてくれるのは、誰なのか。
個人的に、注目するのはただその一点である。