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トランプが「再選」するより、もっと恐ろしいことを彼が起こすとしたら

今月発売の『文藝春秋』11月号にも、連載「「保守」と「リベラル」のための教科書」が掲載です。リベラル担当の私が挙げる5冊目は、ウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』。

ご存じのとおり、来月にはハリス vs トランプの米大統領選があるので、それに絡めて書きたかったんですよね。結果として、ベストな作品にたどり着けたと自負しておりますが、よろしければ無料部分をこちらから。

「トランプを論じるならフォークナーかな?」と思いつくきっかけは、米文学者の都甲幸治先生と、昔行わせていただいたイベントでした。2021年刊の『教養としてのアメリカ短編小説』とのタイアップで、同書にフォークナーの「孫むすめ」(1934年)が採り上げられていたんです。

都甲さんの紹介を読んだ際から、「怖っ!」とゾクゾク来ると同時に、トランプを取り巻く空気の源泉もここなのかな、と感じていました。

William Faulkner(1897-1962)
日本でも、中上健次らに影響が大きい。
写真はWikipediaより

「孫むすめ」は南北戦争に敗れた米国南部を舞台に、原文にもWhite Trashとあるとおりのプア・ホワイトの心理を描いています。いま風に言えば、グローバルな競争から脱落した、ラストベルトの白人労働者にも近い存在。

 サトペン家の黒人奴隷たちまで、ワッシのこうしたウソッパチについて伝え聞いた。彼らは笑った。彼らがワッシをあざけり笑ったのはこれがはじめてではなかった。かげでは彼のことを、”白人の屑” と呼んでいたのである。
 沼地の魚釣り小屋からあがってくる半分消えかかった道で彼に出あうと、彼らはひとかたまりになって、自分たちのほうから、彼にこんなことをきくようになった――「白人のだんな、どうしておめえさんは戦争に出かけねえんですかい?」

龍口直太郎訳『フォークナー短編集』
新潮文庫、189頁
(強調を附し、段落を改変)

何人もの黒人奴隷を従える大農場主だったサトペン大佐は、南北戦争で没落し、その使用人にすぎなかった主人公ワッシはますます惨めになる。しかしワッシは自分のつらさを、サトペンを「南軍の勇将」のように神格化することで埋め合わせ、ほとんどひとりカルトみたいになってゆく。

もちろんそれは妄想なので、ろくでなしのサトペンはなんとワッシの孫娘(15歳)に手を出し、妊娠させる。近所でも「まさか孫まで差し出すとは」と噂になる。しかし、陣痛で孫娘がうめくのを聞いても、「サトペン信者」であるワッシの胸中はこんな感じで――。

孫むすめの声が時計じかけのようにたえまなく聞えてきたが、一方、思いはゆっくりとすごみを帯びて流れ、模索しつつもそのなかのどこかに疾駆する馬蹄のひびきをひめているのだった。
 そしてついには、突如としてその疾駆のひびきのただなかに、疾走する、美しい、誇らしげな種馬に乗った男の、りっぱな、誇らしげな姿がはっきりと現われたかと思うと、やがて、かの思いが模索していたものも、また姿を現わして、まったく明瞭なものになるのだった。
 それは〔妊娠させたことの〕弁明のためや説明のためでさえもなく、孤独な、説明のできる、人間の手によるあらゆるけがれを超えた神の姿として現われるのだった。

200頁

やばい。でも、人って往々にして、こういう状態になっちゃいますよね。

出産はぶじに済むのですが、しかしその直後、サトペンがワッシの幻想を崩壊させるふるまいをする。信じてきた最後の生きがいを打ち砕かれたワッシは、まずサトペンを殺し、次いで孫娘と赤ん坊も手にかけ、小屋に火を放ち、逮捕に来た地元の住民たちに向かって吶喊する。

それでもなお、そのやせこけた人かげは、炎を背に、狂気のような浮彫りとなって、大鎌をふりかざしながら、彼らのほうに走りよってくるのだった。
 「ジョーンズ!」保安官が叫んだ。「とまれ! とまらなきゃあ撃つぞ。ジョーンズ! ジョーンズ!」
 それでもなお、そのやせこけた、たけり狂った人かげは、あかあかと燃えさかる炎の怒号を背にして近よってくるのだった。大鎌をふりかざしたまま、叫びもあげず、音もたてず、彼らの上に、荒々しくかがやく馬の眼やゆれる銃身のきらめきの上に、襲いかかってくるのだった。

215頁(小説の終幕)

2021年1月の議事堂襲撃事件が示すように、トランプの言うことならどんな無茶でも信じるカルトは、もちろん怖い。でも本当の恐ろしさは、そこからさらに先にあるのかもしれない。

今回の当落を問わず、なにかのタイミングで支持者がトランプに「裏切られた!」と感じた場合、その憤懣はどんな形で噴出するのか。暴動かもしれないし、あるいは「ヤツは偽者だった、俺こそが救世主!」みたいな、もっとやばい政治家が出てくるのかもしれない。なんといっても、アメリカは多士済々ですから。

さて実は、フォークナーについてはこのnoteでも前に、著名人が絡むネットリンチを読み解く上で、別の短編を参照したことがあります(お察しのとおり当時、文春のコラムのためにネタを探していたんです)。

いま振り返ると、リンチの中心にいる「著名学者」もまた、支持者にとっての小サトペンであり、小トランプなことがわかりますね。その人の言うことなら嘘でも信じ、すべての解釈をその人の都合に合うよう捻じ曲げるフォロワーのみなさんが、多数のワッシ、すなわちTrashです(笑)。

しかしまぁ、解釈はもういいでしょう。問題はそうした世界を、どうすれば「変革」できるのか?

そのヒントも今月の『文藝春秋』では、コラムの最後に示せたと思っています。よろしければ書店で、多くの方が手に取ってくだされば幸いです!

P.S.
都甲先生には以前、拙著2冊を並べて書評していただいたこともありました。本当にありがたい内容でしたので、よろしければこちらから。


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