SNSでバトルする「専門家」を、なぜ信用してはいけないのか
ご報告が遅れましたが、6月26~28日に3回に分けて、経営学者の舟津昌平さんとの対談が「東洋経済オンライン」に掲載になりました!(リンク先は1回目)
こちらのnoteをご覧になった、舟津さんと編集者さんが企画して下さったもので、ありがたい限りです。
例によってPRの記事をと思ったのですが、困ったことにいま、国境で軍事的な緊張が高まっているんですよね(比喩)。なので今回は、そちらの事情にも照らし合わせつつ、読みどころをチラ見せしていきましょう。
3回もあると「全部読むのは疲れそう…」と思われがちですが、最終回の冒頭にある以下の部分だけは、ぜひ目を通してくだされば幸いです。
特によくないのが、そうした思考のアウトソーシングとSNSの結びつきです。要は「ボクの主張はTVに出てる専門家の○○先生と同じ、だから間違ってるはずはないぞ! うぉううぉう」な人たちを惹きつけてしまう。
そうなのです。「…この専門家さん、信用していいのかな?」と思ったとき、その人の履歴とか、今のポスト(どこ大学の教授か)とか、話に出てくる知識の量とかを見てはいけない。判定ポイントはそこじゃなくて、その人が自分の置かれた現状を「正しくわきまえているか」なんですね。
専門家の側が、いま、不安に駆られて「あなたの言うことなら何でも信じる!」という人が寄ってきてるな、ヤバいな、これは社会が健全じゃないなと自覚して、抑制的に振る舞うのか。
それとも「よっしゃ。こいつらは私の言うこと何でも聞くから、気に入らないやつが居たら、そいつに向かって突撃させれば私無双。もはやネ申!」モードに入ってしまうのか。ここで、専門家の真価が問われるわけです。
まさに同じ理由で、SNSのレスバで「論破」してるかどうかも、専門家の信頼度を測る指標にはなりません(笑)。対談の2回目にいわく――
ここで言及したひろゆきさんの本は、平成末の2018年に出た『論破力』なんですけど、驚いたことに令和のコロナとウクライナを経てみたら、2024年にはまったく同じハウツーを大学教授がドヤ顔で誇り、論壇誌がチヤホヤして掲載するようになっていたんですねぇ……(苦笑)。
私がこのテーマで本を書くなら、『ひろゆき化する学者たち』みたくなるんでしょうが、さて、そこまで行きますかね。個人的にはそろそろホンモノを起用して、この間の「専門家依存」を反省してゆく誌面作りが望ましいと思うのですが、どうしてもイヤならしかたありませんな。
……そんな余韻も踏まえつつ、今の社会のさまざまな問題を切りとる対談になっていると思っています。興味を惹いた箇所のリンクからでOKですので、多くの方にお目通しいただければ幸甚です!
(ヘッダーは、実在する商品より。要は、これの学者版が出たら誰か嬉しいんですか? って話ですよね。まぁ積極的に作ってほしがる「専門家」も、稀には居るのかもしれませんが……)