自信0のダメなママが起業するまで①
はじめまして。ようこです。
私は、起業して人生を変えたい女性の
サポートなどをしていますが
4年前までは、自信0のダメダメなママでした。
昔の私みたいに、
自分はダメだなって
何にもできないなって人生に絶望しているけど
「わたし、こんなはずじゃない」
って思っている女性の希望になれたら、と思い
ちょっと長いけど私の経歴を書いていきます。
なんでもできた保育園時代
第一子で、両家とも初孫として生まれた私。
たくさんおいしいものを食べさせてもらって
4月生まれというのもあって
保育園でも1番体も大きいし
教育熱心な母に育てられ
漢字なども読めたり
ピアノもスパルタで教わったり
「ようこちゃんは何でもできるね」
と言われて育った。
歌うのが好きで、
よくミュージックステーションを見ながら
おもちゃのマイクを片手に歌っていた。
父との別居、大嫌いになる
小1の時に、両親が離婚前提の別居。
離婚についての話し合いがされていた時に
「いやだ!離婚しないで!!」
と懇願するけど、受け入れられず
私は母についていくことに。
父とは近くの公園でよく遊んでいたり
好きだったんだろうけど
その反動なのか
自分を守るためなのか
「声も聞きたくないし、顔も見たくない!」
と父のことが大嫌いに。
再び同居、からの離婚
父が大嫌いにだったけど、
母に説得されて再び家族で会うように。
そして、小3の時に再び同居。
それでも、やはり両親のケンカは絶えず
半年で離婚。
再び大嫌いになった。
SPEEDに憧れて、楽器を吹く
SPPEDが大好きで
ひろこちゃんのパートは
ひろこちゃんっぽく
えりこちゃんのパートは
えりこちゃんっぽく歌えるくらい
聴いて歌っていた。
そんなSPEEDが
吹奏楽部を舞台にしたドラマをやっていて
仁絵ちゃんがかっこよくて
「サックス吹きたい!!」
って憧れた。
サックスはなかったけど
金管バンドクラブへ。
強気で自信満々の優等生からの転落
中学時代
みんなからすごいねって
認めてほしかったし
母に
「後指さされるようなことするな」
ってよく言われていたのもあってか
“ちゃんと”していた優等生だった。
曲がったことが大嫌いだったし
ルールは守るものだよね!と
校則のスカートの丈を
1人で守っていた。
負けず嫌いで
No.1がよくて
いつも学級委員や生徒会をやったし
テストも美術とか体育とかまで対策して
学年1番をとっていた。
部活は吹奏楽部に。
ずっとやりたかった
サックスを担当できることになった!
仁絵ちゃんと同じ
アルトサックスが吹きたくて
募集していなかったのに
「アルトサックスをやらせてください!」
って交渉してみたり
やりたいことに貪欲で
かなり強気で自信満々だった。
自信満々だったけど
塾や全国テストで思うような成績が取れなくて
だんだん自信がなくなっていく。
母とも合わなくて
しょっちゅう喧嘩していた。
口喧嘩に留まらなかったこともあって
近くの祖父母のところへよく逃げていた。
妹と母はべったり仲良しで
うらやましかった。
なんでこんなに合わないのか
すごく悩んで
私は火の星座の牡羊座で
母は水の星座の魚座だから
一生分かり合えないんだなと
悲しくなった。
高校受験では
滑り止めと思っていた私立高校さえも落ちて
自信喪失。。
高校時代
部活動は
中学時代に三年生を送る会で
バンド演奏をしているのを見て
「私もバンドでボーカルをやりたい!」
と思って軽音部へ。
文化祭やライブハウスで
たくさんライブをしていた。
中学までとは違って
バンド以外では控えめキャラだったと思う。
母とは
一緒にいるのが
いよいよムリになって
私だけ祖父母の家に引っ越した。
成績はどんどん落ちていった。
普通に受験したら受からないと思ったから
推薦枠をもらえる中で
1番偏差値の高かった早稲田へ。
大学時代
大学時代は
サークルには入らず
1回だけ開催された
理工学部のロックフェスに出たくて
メンバーを集めて出たのと
高校の時のバンドメンバーで
ライブを1回主催したくらいだった。
授業は1人では全然太刀打ちできなくて
サークルに入っている学部の友達に
たくさん助けてもらった。
祖父母が高齢になり
母と妹が引っ越してきて
また一緒に住むことになった。
ちょっと離れていたこともあって
前みたいなケンカはなくなった。
就活では自己分析をするも
特にやりたいことは見つからなかった。
大学で習ったプログラミングと
親が薬剤師で医療に興味があったから
プログラミング×医療で
電子カルテかな?となって
推薦枠もらえる中で有名企業だったし
大病院向けの電子カルテの導入数が
No.1の富士通へ。
自信をなくし続けた会社員時代
「医療を変えるようなことがしたい!」
と意気込んだけど
全然、
ほんと全然
活躍できなかった。
すぐ、辞めたいと思ったけど
就職氷河期だったし
3年は続けないと
どこも採用してくれない
って思ってたから
辞める勇気もなかった。
数年上の女性の先輩たちは、
リーダーをやって
バリバリ働いているけど
わたしは活躍できないどころか
みんなの前で大声で叱責された。
「辞めちゃうんじゃないかと思った」
と心配されるくらいに。
しかも、電子カルテは人の命を扱うから
ミスがゆるされない。
一生懸命考えたシステムも
指摘だらけ。。
お昼は省エネとして、
オフィスが消灯されてたんだけど
お弁当を持っていた私は
くら~いオフィスで
PCの明かりだけで
お昼を1人食べるっていう。。。
もう、ほんっと苦しくて。。
今思い返せば
胃がむかむかしてたり
しょっちゅう下痢してたし
会社に行くのがしんどくて
最寄り駅から会社までは
ウォークマンの音量をMAXにして
自分を奮い立たせたり
泣きながら会社に歩いてたな。。
これを大音量でリピートしながら
泣きながら会社に行ってた。
なかなか病んでたな…(笑)
でも、わたしはずっと
認められたくて
存在していいんだって思いたくて
"社会の正解"を
一生懸命生きてきたことで
この歌詞みたいに
自分の感覚を消し去って
自分のやりたいことすら
わからなくなっていたんだなと思う。
②に続く