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不味い!


最寄りのT駅の北側、賑やかな南側とは対照的に場末感全開の寂しい商店街(? と言っていいかどうか)の一角に、そう、古いといっても創業明治何十何年、みたいな風格があるわけじゃなくて、中途半端な、創業推定昭和50年、って程度の古さの大衆食堂がある。
たまに前を通るたび、この「中途半端な古さ」が気になって、変色した蝋細工の「焼きめし 500円」にソソられ、いつか機会があれば食ってやろうと思っていた。

風邪の症状がちょっと変わってきたので今朝も病院に寄って薬を替えてもらったのだが、病院と薬局で順番を待つうちに昼近くになってしまい、ちょうどいい、早く薬も飲みたいし、あの食堂で焼きめしを食ってやろうと、開店直後の食堂に入る。

和・洋・中なんでもありのメニュー構成で、厨房の中には推定50代後半の親爺が一人、ホールにはその母とおぼしき80歳くらいの婆さんが一人。
迷いなく「焼きめし」を頼む。
こういう店は丁半勝負である。
うまいか、まずいか。
親爺、大きな中華鍋を取りだして火を入れる。お、一応中華鍋で作るのか。豪快に火柱が上がる。期待していいかも。

よたよたと婆さんが焼きめしを運んでくる。コトン。
「お待ちどうさん」
「・・・・」
食う前にわかる。油ベチョベチョやん!
食う。
やっぱりまずい。

・・・・・・

たまーに、こういう食堂ってあるよね。親爺さん、なんで食堂やってるのん、みたいな。
前に職場の近所にあった沖縄料理屋は、なんていうか、ほんと笑っちゃうくらい料理のセンスのないおじさんが作っていて、たとえば「カラス豆腐」(冷奴の上にアイゴの稚魚=スクの塩辛を乗せたもの)を頼んだら、冷奴にスクを乗せて、さらにカツオブシと醤油をかけて出してくる。
塩辛いスクを素の豆腐に載せて食うから美味いのであって、カツオブシと醤油なんかかけたらブチこわしなのである。こんな濃いもの食えんのである。
「おじさん、カツオブシと醤油いらんの違う?」
「そうかねー。味気なくないかねー」
この塩辛いスクを「味気ない」という味覚で料理屋をやっちゃいけないと思うのだが。

この沖縄料理屋では三線教室もやってるとかで、店に三線が何本か転がしてあった。
酔ったカマウチはその三線を取り上げてりんけんバンドの「肝(ちむ)にかかてぃ」なんかを弾き語りしてみたら「お、兄ちゃんうまいね」などと誉めてくれる。
「どこで習った?」
「昔玉造にあった、めんそうれっていう沖縄料理屋で、そこの娘さんがちょっと教えてくれたんよ」
「めんそうれ。ああ、オオタさんの店か」
「オオタさん知ってるの?」
「ああ、料理の上手い人だねー」

あのね、おじさん、普通料理屋ってのは「料理の上手い人」がやるもんなの!
本気でズッコケましたよ。

その料理の下手な沖縄料理屋のご主人は、何年か前に突然心筋梗塞か何かで倒れ帰らぬ人となった。当然店もなくなった。
下手くそ、マズい、といいながらも何回も通いたくなる、そういう「愛嬌のあるマズさ」の店だった。実際何度も通ったし。

三線教室をやるくらいだから上手いのかと思って
「おじさんナークニー弾いてよ」
「ナークニー面白くないよ」
「仲順流りとかは?」
「気分じゃないね」
とかいって、いつも自分のオリジナルだという演歌みたいな歌を三線かき鳴らして歌うのだった。結局あの歌しか聴いたことないよ、おじさん。

ああ、あのマズい沖縄料理をもう一回食べたいなぁ。
なんてことを思い出してしまった、今日の大衆食堂の焼きめし。
しかし、今日食べたあの焼きめし・・・あれは愛嬌もへったくれもないマズさだった。

『不味い!』
小泉武夫
新潮文庫

(シミルボン 2018.10)

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