河合育子歌集『春の質量』評
『春の質量』は河合育子さんの第一歌集。二〇一一年から二〇二二年の作品を収め、満を持しての出版である。
コスモス内勉強会COCOONが二〇一五年に発足して河合さんを知って以来、感覚、表現、技術のたしかさに注目してきた。
マフラーをゆるめて歩む三月のわれはほどける欅の冬芽
春の近づくぬくもりを自分のマフラーと、繊毛にけぶる欅の芽とで共有する。このような細やかさ、あたたかみがよく詠まれ、丸っこい植物の芽や蕾、もふもふとした小動物、ちょこちょこした昆虫をやさしくつかまえる。
しんがりの長茄子もいで父のためふんはりかりり揚げ茄子つくる
食べ物も実においしそうだ。ここでは〈ふんはりかりり〉の擬音語と、(こんがり、をも導く響きの)〈しんがり〉が共鳴し、焼き目のついた香ばしさが漂ってくる。料理におけるこの味覚の効果は「メイラード反応」と呼ばれ「加熱により様々なアミノ酸が糖と結びつき、複雑で多様な香気を発する」とあった。これはそのまま河合作品の味わいともいえるだろう。
ローソンの前にてだれか待つ犬は縄文のむかしより待つかほす
手折るたび音立てながらこの春の、いつかの春の虎杖を折る
遠来の珈琲豆を挽くひびきえるさるばどるさんさるばどる
友の子が友のこゑにてわれを呼ぶいつかの夏の草の中より
今回まとめて四三八首を読む機会を得て、時間と空間のゆたかな把握に気付いた。人間に飼われることで繋がってきたイヌの命、海の波を超えてスペイン語で騒ぎながら中南米に到来した征服者たちの世界的歴史から、虎杖や友の子のすがたで今あらわれる〈いつか〉の自らの記憶まで。音韻の斡旋配置の技術、聴覚的効果に優れていることは一読してわかるだろう。虎杖を手折るt音のリズミカルな手応えが自然に心をここからどこかへ運んでゆく。
あとがきには「いのちの今、今を共有するよろこび」とある。遥かな過去と、手にしている思い出と、今。これらを包む大きな時空に乗る実感をもった言葉と音たち。
〈個人〉が〈家族ー世間ー社会〉をすっとばして〈世界〉の命運を握ってしまうストーリー仕立てを昨今〈セカイ系〉と呼ぶが、河合育子はそんな人類も生物のひとつにすぎないことをよく知っている。ここに、ちっぽけであることの強さがある。
ひとまはり日々太りゆく芋虫のふたまはりほど丸き糞降る
現代日本の〈家族ー世間ー社会〉はしばしばいじわるだが、〈世界〉はこんなにも優しい。人間もこのぐらい、芋虫の糞と同じぐらいのサイズでもよいではないか。