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嗚呼、伽羅よ伽羅

 お線香を日々燻らせる生活なのだが、この10年ほど(そんなにやってるんだな…)は白檀、沈香を好んで焚き染めてきた。それが昨年自分の誕生日に高価なお香セットをいただいたときに入っていた伽羅の香りに衝撃を受けた。無論のこと、伽羅の香りを知らなかったわけではないのだが、おそらくいただいたそれは非常に高価なものだったので、それまで私が知ったかぶっていた二級品とは根本的に異なっていたんだといまはわかる。

 そのときの衝撃をなんとか言葉にしてみるとするなら、「魂」というものがあるとして、そこにすっと何かが貫通した。小さい針の穴に糸が細く通るようなすーっとなにかが差しこまれ、そして風のようにそれは通り抜けていったのだ。

 しかもその通り抜けていったあとにしみじみとした情熱が奮い起こされ、それはむせび泣きのようにも思える深い深い感傷なのであった。名の知らぬ何かが呼び覚まされてしまったような、その香りの只中に包まれている間、胸が開かれるような思いがしていた。伽羅、その不思議。

 しかしである。伽羅は沈香の一種でありながらわけて希少な種であり、元来の希少性に加えて昨今は採取自体ができなくなってきて尚のこと貴重となっている。よってもってピンキリもピンキリ、まがい物で一瞬は伽羅っぽい香りを得ようとも、あの得も言われぬ魂的体験なぞは訪れることはない。
嗚呼、伽羅よ伽羅よ…

 それが先日、また別の方から贈り物として伽羅をいただく僥倖に遭った。いそいそと点火し、細く白い煙が部屋のなかを龍神のように踊る。脳がよみがえる心地。DNAの鎖のらせん階段を瞬時になにかがかけあがる思い。またその何かは、私の体内をらくらくと巡って頭の先から飛び出ていった。不思議体験をしたいんでもないしそういうことが言いたいのでもないんだが、伽羅の香りが激しくも穏やかに鎮静してくれて、あまつさえ魂に呼びかけるため香りが消えるまで動くことができなくなってしまう。らせんを描きながらゆらめく白い煙の舞踊がいかにも心地よいのだ。

 なにもできない人間として生きている。
 
 もっとこうできたらと思うことばかり。それが身の丈とわかってきた人生の季節にいるが、ときどき生活のなかで小さな恩寵のような瞬間に出くわすよなーと感じたりもするのだ。

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