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丸の内で甲斐荘に出逢う
去年も今年もだいぶ美術館に足を運べていないままに時が過ぎていく…。
けれどこれだけは。これだけは今回見逃したら次は難しかろう。13年待ったのだ。甲斐荘楠音(かいのしょうただおと)だ。
昨年?も「あやしい絵展」だったかで甲斐荘の作品展示もあったのだが、コロナ規制で数日で急遽閉幕となってしまったのだ。甲斐荘の有名すぎる作品のひとつ「横櫛」を13年前に新聞紙上で見てから、その妖艶な笑みを湛える女性に魅せられてしまい長年焦がれてきた。
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場所は意外にも初訪問となる東京ステーションギャラリー。東京駅の丸の内北口にあり、こじんまりとしていて素朴な良い美術館だ。そしてさらに意外だったのが、(場所柄としては意外でないだろうが)金曜の夕刻に訪れたのだが男性のサラリーマンが他の美術館より非常に多くいらしていた。でも、グループで中高年世代の方々だったので、何かしらビジネス関係で足を運んだだけのようにも見えなくもなかったな。そしてああ、甲斐荘である。
私が初見でこの絵に魅入られたとき、思えば自分自身の状態もあまりフラットでなかったと思う。仕事も独立したばかりだったし、なんだか恋愛もうまくいっていなかったしで、「横櫛」を必要以上に妖艶な美として崇める気持ちが無意識に存在していたかも。だって本物を目にしたとき、かの絵から感じたのは「え、クール」という感想だったのだもの。
そうなのだ、甲斐荘という人の複雑さ、キャリアのユニークさ、いくつかの悪魔的な作品から、なんとなく世紀末悪魔崇拝にも似た感覚を想像していたのだが、「横櫛」から感じられたのはシャープでクリアな線とすっきりとした感じであった。これはもう本当に意外。
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甲斐荘は多才な人で、回顧展がなかなか単独で開かれないのには理由がある。画業に専念した期間があまりにも少ないのだ。要するに展示作品が少ない。彼は映画衣装でも大活躍をしていて、気になった方はお調べいただくとして、この展示では彼がデザインした着物も鑑賞できる。いやーこれが美しいんだ。そいでもってオリジナルの人なんだと確信。
個性ってどんどん長じるにつれ失われていき、順応か模倣で薄まっていくものだけど、彼はそうじゃなかった。まあそうでなければ「横櫛」のような異様な作品を描くことはできないだろう。
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あと、女性に対して他の日本画家のような想い入れがないのが作品からわかる。神聖化が一切なくて彼の視点から美と醜は紙一重であり、一般に醜とされる女の瞬間も、彼にとって優劣なくただ「女人」の姿でしかない。私が彼の作品が好きなのは案外のところ、そういうとこだったかもしれないな。
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その後、久々だったので丸の内の夕暮れ時を散策。丸の内って街がきらきらしているんだけど、銀座や青山のきらきらと違って、なんかしゅわしゅわとしたシャンペンのような輝き。ビジネス街だからというのでもないと思うけど、アクティブな生の気がぴんぴんぱちぱちとはじけ飛んでいるように感じられる。