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やっぱりなかった、『マディソン郡の橋』
わー今日はいつもの日曜より断然にスタートが早い!驚くべきことだ。いつもいやいやPCの前に向かうのが21時で、結局明け方まで仕事することになるのだが、それでも怠惰に過ごす日中を選んでしまうダメな人間のサガ。今日は不思議とずいぶん早く行動している。仕事場にしている某ライブラリー49階から望む景色も、たそがれの茜色時間は瞬時に失われ、ぽつぽつと夜の訪れを知らせる明かりがともり始めた。
『マディソン郡の橋』について書く。驚くべき発見があったからだ。好きな方には申し訳がないが、私にはこの筋書き通りのラブロマンスが昔から受け入れることができず、それを年齢のせいだと思い込んできた。中年世代の恋愛に同調できないという点と、クリント・イーストウッドが(当時で既に)おじいちゃん過ぎてラブロマンスにまったく気持ちが投影できなかったのだ。それで、ヒロイン・フランチェスカと世代を近しくする今であれば、切なさに見悶えたりして理解できるんだろうか、そう思っていわば実験感覚でその苦手な映画に向き合ったのだ。
結論。ないです、これはない。
大きな理由が、メリル演じるフランチェスカ45歳、当時のメリルも45歳でここは文句なしのキャスティングであろう。しかし、運命の恋のお相手たるイーストウッド、原作では52歳なのだが演じる彼はなんと65歳である。20歳の私が『どうやってこんなおじいちゃんの恋愛映画に共感できるの…』と思ったのも無理はないが、2020年の今においても絶対に無理だ。自分が65歳の男性に恋心を抱く可能性がまったく想像できない。
実はme too 問題で、映画界のこの悪しき慣習にも目が向けられるようになっている。要するに、主役の男性俳優の実年齢に対して、相手役となる女性俳優の年齢はいつだって20代なのだ。つまり、現実ではなかなか難しい年齢差のカップルがごく自然にラブシーンを演じている。昔、自分はそれらを観ながら、『うーむ、いくらカッコいい想定の人でも、自分がこの人(役者)に惚れるだろうか…』といつも疑問だった。結局はハリウッドも男社会の典型で守られてきた業界、男性俳優がどんなに年老いても相手役にはぴちぴちの若い女性を、というのがセオリーだったのだ。
でもこれじゃあさ、女優が活躍できる年数が圧倒的に限られるのは仕方ないですよね?正直、私はフェミニズム思想がないので、ここを声高に糾弾して問題解決を、、というふうにはならないのだが、普通に考えて自分を投影できないなーと思う。
まあ結論。
『マディソン郡の橋』は、同世代になってもあり得ないなという感想だった。論点もそこではないとわかっているが、あまりに感傷に浸りすぎた作品で。本当に好きな方には申し訳ないが、名もなき1人のある感想であるのでご容赦のほどを。