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忘れ去られた白眉の彼女

 今日は書き物仕事が多いので、「書かなくてはならない仕事」の前にどうでもいいけれど自分自身の言葉を書いておく準備体操が必要だ。少しの間、PCのキーボードにピアノを弾くような形で指をセットし、文字が打たれるのを待ってみる。ああそうだ、森瑤子さんのことを書こう。(何度目?)

 高校時代、山田詠美さんにハマった時期があり(照)、他人に対して殊更辛口な作家が唯一同性で敬意をもって評したのが森さんだったことで興味を持った。実際に乱読し始めたのは浪人生活を経て大学生になってから。驚くことに、当時の森さんは多作も多作で、本屋に行けばびっしりと「も」の欄には彼女の著作が数多く並んでいたのだ。そして、今回彼女のことを書こうと思ったのには、今はどの本屋を探してもあれだけあった彼女の本はないことが悲しかった。

 そのように新品がいくらでも手に入った学生の時分であっても、古本屋に行けばわんさかと彼女の文庫が手に入り、半々ほどの割合で利用したと思う。そうして今自分の手元にほとんど残っていない。そう、彼女の多作ぶりは故あってのことだったわけだが、その成果物は読み捨てるにふさわしい軽さに富んでいたのだ。内容が軽いのではなく、軽妙洒脱というか、読み流すのに最適で、読書中に過ごす時間の流れ方がいかにも軽くて居心地の良い空気が流れた。

 とはいえ、「居心地が良い」というのは万人に共通ではなかったように思う。彼女の言葉を借りるなら、非常に「スノッブを気取った」生活観がしのばれ、鼻もちならないと感じる人も特に男性には多かったかもしれない。私はサガン、コレット、デュラスなんかのフランス女流作家の作品に流れる空気がとても好きであったので、森さんの作品に似たものを感じ、要するに好みに合っていた。

 当時青二才だった自分は、あの頃ずいぶん森さんの作品世界から学んだ。彼女が生きた西麻布や六本木の夜の描写は、今そのまま自分が日常にしていることにはっと驚くことがまだある。あの頃あんなにも大人の女性を見た世界が、まさか日常になるほどに年を取ったというかなんというか。東京タワーをふりさけみるとき、稀に彼女の目を感じるような気さえする。

 森さんが多作にならざるを得なかった理由は、死後第三者らが明かした。イギリス人のご主人の事業があまりうまくいかず、ほとんど森さんの細腕にかかっていたこと。二人とも節約するよりは豪快に使うタイプであったことで、要するに使うだけのお金を一本のペンから生み出す必要がったこと。実際、多くの作品は駄文としか呼べないような締め切り用に合わせて書きなぐったとしか言えないものも多い。「えー、こんなのにお金出したの!?」って買ってから自分つっこみしたこともある。量産された赤い背表紙の彼女の文庫は、とにかくあの頃書店の棚でひとつの存在感を放っていたのだ。

 冒頭に書いたように、今書店棚に彼女の本は一冊もない。けれど私は人生で3度、彼女のデビュー作を買った。すぐに紛失してしまうから手元に残らないのだが、それでも猛烈に読みたくなるので買い直してしまう。彼女38歳ですばる文学賞を受賞したデビュー作「情事」だ。多産だった作品群のなかで、これは確実に名作であり才能がきらめいている。

 本屋さん、「情事」だけは「も」の棚に置きませんか?忘れられていくたくさんの作品のなかでも、これだけは確実に白眉の出来であろうと思う。

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