女と女の道行き
図書館通いが復活した。もともとは母に、サードプレイス…じゃないか、母の場合はセカンドプレイスとして自宅以外に少し滞在ができて自由に過ごせる場所として提案したからなんだけど、なんだかんだ一緒に行くことが多い。
子どものころから「読みたい本」ありきではなく、図書館の背の高い書棚に並んだ本のうち、まるで呼びかけてくるかのように惹かれる本に出合うまで手に取らないので、近所のそのとても小さく蔵書の少ない図書館であっても事足りたのだけれど、最近とても読みたいと思っていた本が幾冊かあり、それらが軒並みおいていないので今日などはわざわざ中央図書館に行くことにした。バスを使うが存外に近くにあり、母に声をかけると行きたいというので連れ立ってゆく。
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長いこと同じエリアに居住しているのに、その方面のバスに初めて乗ったので俄然遠足の気分が盛り上がる。日常的に電車移動よりバスを好んでいて、住宅街のなかをぬって走る車窓からひとの暮らしの名残を垣間見るのが好きだ。地区地区に植栽された樹木や花を咲かせる植物など眺めるのも楽しく、今日はその初めて走る道においていくつか気になる店…たとえば、家庭的な雰囲気のビストロやおいしそうなパン屋さんなどを見つけてはスマホで検索しながらゆく。
バスに乗り込んだとき母とは席が離れてしまい、時折顔を後ろに向けて目と目で合図など交わしながらバスは進む。ちなみに母はすこぶる健康で、年のわりに健脚で若々しく見える。スタイルもとてもよく、均整がとれているほうだと思う。多少歩きなど気を付けていないとやや後ろを遅れていたりするし、都会の道を縦横に走る自転車の多さなどはたびたび注意してあげないと突然横切られて面喰うこともある。が、基本的に過剰な気遣いは不要なほど元気なのだった。
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バスを降りて図書館に入る。「じゃ、先に選び終えたらあそこのソファで待っていて」と互いに約束し別行動に。
残念ながら呼ばれる本がない。先日、偶然読んだのは吉行淳之介の何人かの愛人だった大塚英子という方が書いた暴露本的作品で、なんでも吉行氏の「暗室」という作品に出てくる夏枝のモデルがかの大塚氏なのだという。それで学生時代ぶりに吉行氏の小説を読んでみることにした。もちろん「暗室」だ。
途中で「なんてつまらないんだろう」と思った。小説の体裁をとった書きなぐり駄文としか思えない代物で、そして学生時代に自分は吉行氏を大変な女好きなのだと認識していたが、いやいやどうして、この人は基本的に女を憎んでいるのだと思った。それでその方向で調べてみると「吉行淳之介 ミソジニー」という候補検索ワードが一緒に出てくるくらいには、よく知られた事実のようだった。話がそれた。
とりあえず数冊、せっかく来たのだからという理由のみで手に取り、ソファに向かうと陽だまりのなかで母が本を読んでいた。遠くから少しの間その光景を眺める。このようにして観れば、この女性が数ヶ月前までに言葉にできないようなつらい目に遭っていたとは誰も思うまい。それを思うと胸がじくんと傷み、あわてて取り消すようにして母に駆け寄った。
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日本全国たいへんな陽気となった一日、私はキャップをかぶり日傘をもってきていたが、自分の勝手で帽子をかぶらずに来た母が非難めいたことを言う。
「●●ちゃん、帽子をかぶっているんなら日傘を貸してよ」
「え、やだよ。帽子は髪をちゃんとしなくて済むようにかぶってるだけで日傘と役割が別なんです」
「ひどい。こんなに暑いのに自分だけ」
「…あのさ、帽子をかぶらないで出てきたのは自分の判断でしょう。被害者みたいに言わないでください」と言いつつも、日盛りの道を歩く白髪の母を見ていると哀れになり日傘を明け渡す。嗚呼、毎年守ってきた白肌の腕をどうしてくれよう。
女と女。どんなに楽しく生きていっても女同士に埋められないものが歴然とあるよな、と母を見ていても思うし、自分を考えてもかの人の不在を思う。なんてことなく過ごした日に思いがけず太陽にあたったりしてとろりとした眠気のなかで漠と思うことなど。