アートは政治・社会運動に利用されている?!
タイトル写真は、2007年に上野公園に展示されていた自由の女神像です。
もともとは、宮城県多賀城市にあったパチンコ屋の屋外ディスプレイとして使われていました。
パチンコ屋がつぶれると、石巻市の公園に設置され、東日本大震災で被災し損傷。危険なので撤去され、石巻市が保管しているのを仙台市が買い取り、公園に設置しようとしていましたが、実現しませんでした。
仙台市の倉庫に眠っていた像を、アーティストの村上愛佳が引き取り、今回、上野公園に展示したといういきさつです。
この展示の趣旨は、この像を新たな場所に移設したいので、みなさんが考える移設先を教えてほしい、というものでした。
アート作品として展示されていたと記憶しています。わたくしには、そのように見えました。
下の写真は、趣旨が書かれていた看板です。像のとなりに立てられていました。
展示は面白いです。
わたくしは商業ディスプレイや彫刻作品が好きなので、この展示をとても面白く見ました。プロジェクトの内容も、興味深く拝見しました。
そのうえで、アート作品のように展示されていたことに違和感を覚えました。
これってアートなの?!っていう感じです。
そういう疑問は、現代アートを鑑賞しているとたびたび感じるところです。
それはアートの流れとして別に構わないと思っているのですが、やりすぎという感じがするときがあります。
2019年の「あいちトリエンナーレ」には、朝鮮人慰安婦を象徴する「平和の少女像」が展示され、問題化しました。
わたくしは、これはアートではなくて、アートという言葉と、美術館という空間を使った政治運動だと思います。
冒頭の自由の女神像のプロジェクトも、アートというより社会プロジェクトと呼んだほうがふさわしい感じです。
アートの領域が広がっていくのはいいと思いますし、アートの発展のために、それは必要だと思います。
それをいいことに、アートが利用されているような印象を受けることが、展示を見ていると、ときどきあります。
最近、わたくしは現代アート作品を鑑賞するとき、作品のなかに、政治運動や社会プロジェクトの要素がどれくらい入っているのかを意識することが多くなりました。